跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/15

これでいいのかなあ、と思う。仕事をして、そして時間が空いたら映画を観たり本を読んだりして過ごす。今のところそれは上手く行っているようで、仕事の方はジョブコーチを利用して様々なアイデアを試せるところまできている。そしてプライベートな時間の読書は十河進片岡義男小西康陽ポール・オースターを読んだりして過ごしている。映画の方は手当たり次第かつアホみたいに観てきた映画が700本に達しようとしている。そして、今のところこの時間の過ごし方で特に問題というものは起きていない。だからこれでいいのだろうな、と思う。でもどこかスッキリしない。

これについて昼休み考えたのだけれど、答えが出てこなかった。単に自分の文章がカネにならないこと、つまり読んだり観たりといったことが時間の無駄で終わっているように感じられることが虚しいのだろうかとも思ったり……久しぶりに小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を聴きながらこれについて考えるのだけれど、結局わからないままだ。幸せといえば幸せな人生ではないかな、とも思う。安定した仕事を得ていて、健康でもあって空いた時間を有意義に過ごせていて、美味しい食事も食べられる。そんな恵まれた環境にいる自分がいる。なのに。

夜、リドリー・スコットブレードランナー』を観る。泣く子も黙るSF映画の金字塔で、私も何度か観てきたはずなのだけれど今回観ていてなかなか考えさせられた。レプリカントという人が作り出した人造人間は自分の「死」を恐れ、デカルト「我思う故に我在り」を引用できるほど知性と洞察力があって自分自身を深く考察できるキャラクターである。そのようなレプリカントと、彼らを取り締まるブレードランナーデッカードとの追いつ追われつのドラマを観ながら、私も私自身について考えさせられてしまった。この「自分」とは何なのだろう、と。

単に鬱状態だからなのだろうか、自分のことばかり見つめて、そして書き続けている。もっと外側に目を向けないといけないとも思う。今はつらい状況だけれど、腐っても仕方がない。英語を学び、映画を観て本を読む。そうして外側にある芸術に触れることは自分を外に向けて開示していくことであり、中途半端に出来上がった自分自身を壊して再生させることでもある。「これでいい」と思ったら成長が止まる。開かれた自分自身でいたい。「窓は開けておくんだよ いい声聞こえそうさ」という、私の好きな曲の歌詞(フィッシュマンズ「ナイトクルージング」)を思い浮かべながら。