跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/12

川本三郎『映画の中にある如く』を読む。川本三郎の書いたものを読むとその「淡さ」「淡白さ」に唸らされる。さながら熟達した格闘家の技芸のように(と言えるほど私は格闘技を知らないのだが)力みがない。それでいて彼の分析/批評は奥が深い。こちらの心に無意味に傷をつけるような攻撃性がない、というか。彼の声はよく通る。だから読み終えた後に残るのは清涼感だ。プロの仕事、と言うと安直すぎるだろうか。女性に甘いのはまあご愛嬌というやつだけれど、彼の姿勢を見習って私もアンテナを高く掲げていたい、と思わされる。

昨日慣れない仕事をしたせいで、身体も心もくたびれてしまった。なので今日もネットフリックスのドキュメンタリー『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』を観る気になれず、先述した川本三郎の本を読んだり時折『ウォーホル日記』をめくったり、十河進『映画がなければ生きていけない 2016-2018』を読んだりと実にダラダラした時間を過ごしてしまった。川本三郎の本はまた図書館に行って荷風について書かれたものを読んでみるつもりだ。別に研究者になりたいわけでもないのにこんな本を読んでどうするの、と我ながら自分のバカさ加減に呆れるのだが。

じゃあ何になりたいんだろう、と自分自身のことを振り返ってみる。作家か、それともエッセイストか。どうなりたくて自分は毎日毎日たくさん本を読むのだろう。私は自分がどうなりたいのかよくわからない。ただ楽しいと思うことをやっている。その延長上で川本三郎の本を読んだり小津安二郎の映画を観たり、アンディ・ウォーホルについて考えたりということがあるだけだ。実に計画性がないというか刹那的というか、自分が長いスパンで物事を考えられないことに気づく。昔からこうだった。「10年後」のことをイメージできず「今」だけに囚われて生きていたと言うべきか……。

貧しく慎ましく、という生活を続けすぎたせいか何だか欲求が乏しくなってしまった。食事はグループホームの美味しい食事があるし、空き時間は先述したネットフリックスの映画やドキュメンタリーを観て過ごす。もちろん読書もする。この時期だとチェーホフの『櫻の園』を中原俊が映画化したものを観てみたいと思う。こんなことばかり考えているのでダイナミックに金を掴んで成功してどうのこうの、という野望を抱く気にもなれない。ある種これが「悟り」なのかな、と思う。考えすぎず、成り行きに任せてこの世のデタラメを楽しむ。そんな宇宙の真理がわかるようになったのかもしれない。