跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/05

いつも書いていることなのだけれど、その昔私はとにかく目立ちたくて、名を売りたくてしょうがなかったのでいろいろバカなことをしたのだった。コメンテーター気取りでニュースに首を突っ込んだことをブログで書いたりして……それはひと口で言えば「承認欲求を満たしたかった」ということで、私はそれほどまでに現実で人から認められる経験を積んでいなかったということになる。悪魔に魂を売る、という言葉があるがまさに私は自分自身の大事なものを売ってでも名を成し、アルファブロガーになりたかったのだった。改めて当時のことを思うと恥が襲ってくる。

もちろん、読まれないよりは読まれる方がありがたい。だけども今のような形で本当に大事な人が読んで下さっていることを確認できれば、それだけで御の字ではないかと思うようにもなってきた。現状にあぐらをかくと成長が止まる、と人は言うけれど私は今を肯定することと成長を望むことは両立しうると思う。今の幸せを噛み締めながら、さらなる成長を求めて英語を学んだり本を呼んだりする。そうすることで自分の書くものはさらに深まると思う……なんて、あまりにもだいそれたことを書いてしまいこれまた恥を感じる。

ふと、映画『ショーシャンクの空に』を思い出す。登場人物が希望を保ち、再会を果たすべく決意を固めるあの映画のことを……独房の中で20年、とある男が希望を失わず自分だけの作業を続けその果てに成功を勝ち取った。私も今の会社で20年以上働き続けて、その傍らこの日記を1年とちょっと書き続け、そうして「継続は力なり」の精神で自分を鍛えている(つもりではある)。いや、ドラマと現実は別物ではあるのだけれどそれでも私の20年越しの努力は実ろうとしてきているのを感じる。やっと自分にも青春が訪れ始めたのかもしれないと思う。

夜、時間があったので『ショーシャンクの空に』を観ようかとも思ったのだけれども、結局ダラダラ過ごしてしまった。この瞬間にも芝山幹郎のようなすごい人は映画を観ているし、研鑽を怠っていない。反省せねばなるまい。それにしても、私はずっと英語で日記を書いたりチャットしたりしてきたわけだけれど、果たしてどの程度上達したのだろうか。昔茂木健一郎が英語でブログを書いていると語っていた時に、「賢い人はやはりやることが違う」と唸ったものだ。まさか自分が英語で発信する日が来るなんて思ってもみなかった。これが人間万事塞翁が馬というやつなのだろうか。違うかな?