跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/29

2007年、自閉症者かどうか見極めるためのテストであるWAISを受けた時、私は言語性IQが動作性IQより高いという診断を下された。平たく言えば言葉を使うことには長けているが、動作がそれに追いつかず苦労するというものだ。だから私の知人は私のことを「言語の人」と呼ぶ。私も言葉を使った活動に興味を持っていて、英語を勉強したりこうして文章を書いたりしている時に充実感を覚える。確かに運動がもっとできればと思った頃もあったけれど、今は「ないものねだり」をしていても仕方がないと思い座して勉強を続けている。今の自分にも充分取り柄はある。そう思えるのが嬉しい。

その昔、人は日本語型の発想で考える人間(状況説明から始まり、最後に結論を述べるタイプの人間)と英語で考える人間(結論から話し始め、その根拠を付加していく人間)の2種類いると教わったことがあった。私は自分は英語型ではないかと思っている。だから英語で考えて話している時、私は思うように語れていると思うことがある。もちろん私の英語はそんな大したものではないけれど、それでも伝わる人には伝わって評価されている。それが嬉しいと思う。もちろん今でさえ私は英語を間違えて大恥をかくことがあるにしても。

昨日のclubhouseでの発表の後、横道誠『イスタンブールで青に溺れる』を読んでいて自閉症者が音を聞く際に注意深くあらゆる音を聞きすぎて、取捨選択がうまくいかなくなってしまい脳が処理しきれなくなると書かれていたのを読んだ。それが引っかかっている。私も、スマートフォンで音声でやり取りする際にはどうしても相手の声が聞き取れず苦労することがあるからだ。文字でやり取りする方が記録も残しやすくしたがって重宝する。clubhouseでのやり取りも一時間くらい聞いていると脳がパンクしそうになる。これもまたひとつの発見だ。

夜、エメラルド・フェネル『プロミシング・ヤング・ウーマン』を観る。この映画はとある人物のレイプ事件に関して復讐を遂行する女性が描かれる。女性がレイプされる時、その責任は誰にあるのだろうかという問題が問われる。もちろんレイプする男が悪いのは明白だが、その男を様々な方便で守ろうとする圧力が働くことがある。そうした不条理にメスを入れて、鋭い観察眼でこの世界を見抜く視線を感じさせる鋭い映画だと思った。しかも、良質のユーモア(かなりどす黒いが)をも感じさせる。チャーミングである、とさえ思う。