朝、英語研究会の会合に行く。そこで英字新聞を読み込む作業をする。恥を忍んで言えば、私はこの会合のための予習ができていなかった。なので私の発表は辞退してお詫びしようと思っていたのだけれど、結局ぶっつけ本番で発表することになった。日本語に訳してくと基礎的な単語の意味もわからなくなり、語られているゼレンスキーとプーチン、ウクライナとロシアをめぐる情勢の話題も難解に思われてくる。だが、ふと「ああ、こういう意味だったのか」と目の前の霧が晴れてくる感覚があって面白い。もっと予習をしよう、と思った。
昼、前に書いていたフランク・ダラボン『ショーシャンクの空に』を観る。脱獄がメインの出来事として吸えられているストーリーだが、語られているのはむしろ「塀の中の懲りない面々」の人間群像ではないかと思った。ひとりひとりキャラクターが活き活きと「立っている」から、どの人物に注目しても楽しめる。これがキングとダラボンの底力なのだろうな、と思った。自分は夢を語ること、希望を持つことを長い間忘れてしまっていたなとも思う。だが、今の私の夢ないし希望とは何だろう。そう思うと自分がひどく擦れっ枯らしの人間になったような気もする。
夜、『MINAMATA-ミナマタ-』を観る。よくわからない映画だった。スケールの大きな社会派にして硬派の映画であるようで、実はある人物の魂の再生を描いているようにも感じられる。クールなのかホットなのかわからない。だが、映像は美しくウェルメイドな映画であるとも思った。この監督はもっと追いかけたい。水俣病に関して、恥ずかしながら私はどこかで「終わった話」と決めてかかっていたように思ったがまだまだこの問題は終わっていないのだな、と思った。あるいはフクシマ以降の日本の現状とこの映画はシンクロするところがあるのかもしれない。
こうして映画を観てきて、思ったことを文章にする。我ながら「よくやるよ」と思う……実はとある方からとあるグループで批判もされてしまったのだが、結局どうボロクソに言われようと私は書くことをやめられないのだろうな、と思った。40までロクに映画など観ずに過ごしてきて、一念発起して映画を観始めて……私は本を読み音楽を聴くが、映画を観て感じたことを書くことは自分の中にあるわだかまった思いを「吐き出す」作業でもあるのだろうなと思った。そんなもの読みたくもないという意見もあろう。もっともなことで批判されても仕方がない。芝山幹郎のようなすごい人であっても批判はされるのだ。いわんや私をや。
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