跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/27

仕事をしていてふと、「どの世界でも一人前になるのは大変なことだ」と考えてしまった。私が務めている今の仕事について、私はこれが20年以上続けてきたプロとしての仕事であるという自覚こそあるものの、では一人前になれたかどうかと問われれば否定するしかない。まだまだ半人前でありそれゆえに学ぶ要素もある。改善できる要素もある。ジョブコーチを利用することで完璧へと近づけたいと思う気持ちもある。そして英語を使った活動にしてもぜんぜん一人前とは程遠いと思っている。まだまだ学ぶべき余地は残されている。日暮れて道遠し、という言葉が身にしみる。

今日は昼休み、中島義道『観念的生活』と『孤独について』を少し読み返した。中島義道の本からはいつも、「私自身の」哲学をするようにけしかけられている。そして、その哲学がいかに難しいかも教わっていると思っている。哲学に一生を捧げられるか、自分にその度胸があるか。これから残りの人生をウィトゲンシュタインを読むことに費やして、そして死んでいく。もしかしたら何も得られないかもしれないにせよ、ただ時間を無駄にして終わるかもしれないにせよ……そう考えてしまう。あながち『哲学探究』と向き合って生きた人生は無駄なものにはならないと思うよせよ。

中島義道のようにドイツ語を達者に扱えず、それゆえにニーチェウィトゲンシュタインもカントも原語で読みこなせない自分がここにいる。それはれっきとした才能の差というものだろう。神様は残酷だ。私にできることはその残酷さを受け容れて、自分なりに少しでも向上するべく努力することしかない。この不公平をごまかさず見つめ続けること。これも中島義道から学んだことだ。『観念的生活』の哲学的思考を読みながら、自分はついにこの思考の足元にも及ばない考えを日々こうして吐露するしかないのかな、と思った。

夜、ミーティングに参加する。そこでボン・ジョヴィの曲「Dry County」という曲について話し合う。禁酒法時代のことを歌った歌らしいが、歌詞から宗教的な要素を読み取れるのではないかとの発言もあり有意義なミーティングとなったと思う。私もこうして歌についてミーティングで取り上げたいと思った。例えばブルース・スプリングスティーンの曲はどうだろう。「ボーン・イン・ザ・USA」について、この曲に隠された(というのは言い過ぎで、実は明示されている)メッセージについて話し合えればいいと思う。さっそく資料を作ることにした。