跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/20

昼休み、ふとピチカート・ファイヴ「皆笑った」を聴きたくなったので聴いてみた。この曲のファニーな歌詞と優雅なメロディから、自分の中にある日本的な要素について考えてしまった。ピチカート・ファイヴの曲からはどこか「日本の情緒」を感じる。もちろん彼らが洗練された音楽を演奏していることは確かなのだけれど、だからこそ際立つ日本的な要素があると思ってしまった。これはナショナリズムなのだろうか。だが、彼らのスノッブな要素は私を心地よくさせるし、刺激的に作用するとも思ってしまう。一時期よく『スウィート・ピチカート・ファイヴ』を繰り返して聴いたことを思い出す。

渋谷系の音楽を好んで聴いていた十代の頃、私はずっと彼らが音楽の中で歌っていたような洗練された暮らしがあると思っていた。今、私が生きているのはそうした暮らしなのかもしれない。自分のセンスに満ちた、幸せな暮らし……もちろんゴージャスな暮らしからはかけ離れた貧しいものではあるだろうけれど、ともあれ貧しいなりに自分の生活を趣味でデコレートして、自由に生きられていることは間違いないと思う。ピチカート・ファイヴオリジナル・ラブフリッパーズ・ギターの音楽の美学を自分は受け継いだのだな、と思う。

「人生に意味はない」、と宮台真司は言った。この言葉のことを思い出した。「意味より強度を」と彼は語っている。何かを行っている時、それが楽しければ、その楽しみを濃密なものとして感じられればそれで充分であるというのが彼の発言の骨子である。私もこの考え方が好きで、自分の生活の中にこの価値観を組み込んで生きている。今、私は現実の中で仕事や趣味に楽しみを見出して生きていられている。英語を勉強することも、本を読むこともこうして考えを煮詰めることも、すべて自分の楽しみのために行っていて、そこに意味がなくても気にすることはないと思っている。

ああ、この人生を私は祝福できる。このような人生を生きられて幸せだ、と。そう思えることが自分の強さなのかな、と思っている。力の源となっているというか。誰のどんな生き方と比べるまでもなく、誰かの真似をするでもなく私は私であると居直って、そうして生きている。そう考えるようになってから私はSNSで無理に論客めいた主張をすることにも関心がなくなり、自分の英語の勉強に専念できるようになった。ピチカート・ファイヴ吉田健一から学んだ、自分の生活を美しくすることで世界に対峙するという美学を自分は生きているのかもしれない。