跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/05

今日は休みだった。図書館に行き、フロイトベイトソンの本を借りる。その後イオンに行き涼みながらティム・インゴルド『生きていること』を読む。いつものようにメモパッドに思っていることを書き付けようとするが全然アイデアが沸いてこない。何でもいいから書き付けようと思うのだけど、制限を解くというのも難しいものだ。しょうがないのでペット・ショップ・ボーイズを聴きながらぼんやり過ごす。ああ、高校生の頃に寝食を忘れて島田雅彦柄谷行人のエッセイを読み耽ったことを思い出す。あの日々から全然自分は変わっていない気がする。

午後になり、相変わらず無為なままさっき借りた本の中の茂木健一郎クオリアと人工意識』をパラパラ読み始める。一時期私自身がアントニオ・ダマシオなどの脳科学の本を読み込んで、まったくのド素人なりにあれこれ考えたことを思い出す。意識とは何だろうか、自分自身がこう考えていることとは何なのか……もちろん私にわかるわけがない。考え始めるとこの世の森羅万象が謎に包まれていて、私の儚い人生で見極められる範囲なんてごくわずかでしかない。思い上がらず、そうした世界の神秘に謙虚であるべきなのか。ウィトゲンシュタインに倣って語りえぬ謎に対しては沈黙すべきなのか。

もちろん、四六時中こんなカッコつけたことばかり考えたり行ったりして生きているわけではない。私の中のバカさ加減がむき出しになる瞬間もある。エッチなことを考えたり、たわけたことを思ったり。かつてはそんなバカな要素をむき出しにしてTwitterで騒いだこともあったっけ。今だってあの本が欲しいなあとか(マイケル・グラツィアーノの本に心惹かれる)、汗をかかない暮らしをしたいなあとか考えるのである。そんなたわけた要素と岩波文庫ベイトソンを読みたいと思う自分はつながっている。人間というのはそういうデタラメなものだと思う。「わかるかなあ、わっかんねえだろうなぁ」(松鶴家千とせ)。

夜、英会話教室に行く。今回のレッスンは日本の休日に関して。七夕について学び、私も短冊に願いを書く。「I wish peace of mind」(心の平安が欲しい)と書き、先生に「Nice」とコメントをもらった。アメリカのTV番組「Jeopardy」のルールを踏まえたゲームをして遊び、面白いひと時を過ごした。ああ、自分の中から脂ギッシュな欲が消えていく……老化だろうか、それとも貧乏すぎるせいか。茂木健一郎『脳とクオリア』を買おうかどうか迷い、ピチカート・ファイヴを聴きながら夜を過ごす。また小西康陽のエッセイ集を読み返してみようかな、と思ったりした。