跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/19

ふれあい祭りで使う原稿の英訳について、ALTの先生がもうひとつ案を出して下さった。その案を読んでいるとなるほど表現に膨らみが増しており、逆に言えば私の案はまだまだ粗っぽいところがあったかなと反省させられた。私は大学生の頃は英文学を学んだりして英語とはそれなりに長い付き合いがあるのだが、それでも英語の道は奥が深いものだと思わされる。ネイティブ並みに完璧にマスターする、なんてことはできっこない。ただひたすら、日々研鑽に努めるだけだ。だからこの機会は本当に自分にとって貴重なものとして受け留めることにする。

朝、オウテカ『LP5』を聴きながらウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』を読む。この本は以前読んだことがあったが、その時はどんなことを考えたのか思い出せない。今読んでいて思ったことをこうして書き留めながら、同じ本を読んでいるというのにコンディションによって違うことを考えてしまうというのも面白いものだと思ってしまう。ウィトゲンシュタインは日々、どんなものを見てどんな生活を送ったのだろうか。そしてウィトゲンシュタインにとってこの本は彼の思考の結晶なのか、未整理なものの塊なのだろうか、というようなことを思った。

私は哲学についてそんなに真面目に勉強した人間ではない。ヘーゲルもカントも知らないのだから、ある意味落第生と言ってもいい。だが、『ラスト・ライティングス』で展開される思考の軌跡を追い続けていると、私はそんな風に不勉強でありながら知らず知らずのうちに哲学の道を歩く資質があるのではないかと、そんな不遜なことを考えてしまう。いや、ウィトゲンシュタインほど徹底して考えることはできないのだけれど、それでも彼のタフネスを見習って自分なりの問題に立ち向かうことはできるのではないかな、と。甘いだろうか。

さて、これからどうしようか、というようなことを考える。自分のこれからの夢は何だろう、と……私は遠い未来を見通して生きるのが苦手で、いつも刹那的にしか物事を考えられない。かつては作家になりたいとか憧れがあったものだが、今はジョブコーチのことをもっと推し進めていきたいと考えているし、まだまだ英語力を試せる機会をもらえればとも思っている。日々、英語を使う機会を楽しむことができれば、と。そしてそのような機会を設けて下さる友だちに対して、改めて感謝の念を抱く。非常にありがたいことだと思う。ありがとうございます。