今日は天気がよかった。ああ、酒に呑まれていた日々を思い出す。どこにも行けなくて鬱屈して酒を呑み、ただひたすら死にたい死にたいと願っていた日々。ずっと、私は自分が生まれてきてはいけない人間だったのだと思い込んでいた。そんなことを勢い余ってジュディスさんにWhatsAppで伝えた。ジュディスさんは「Thank you for being you」とメッセージを送ってくれた。泣いてしまった。私が私自身でいい、私自身であって許されるなんて知らなかった。ずっと私は自分自身がこんな存在であることを否定し続け、あるいは否定され続けてきたのだった。
ハイデガー『存在と時間』の入門書を読もうかと思っている。私は哲学的な訓練/修練を積んでいないので、本家『存在と時間』にいきなり挑んでも読みこなせるわけがない(一応、昔岩波文庫で第一巻だけ読んだことがあるが)。ハイデガーを読んだら自分の世界観は変わるだろうか。肝腎なのは私が私のやり方で(それが幼稚なものであるとしても)自分の考え方を練り上げていくことだ。ウィトゲンシュタインを読んでいて学んだのも、ウィトゲンシュタインの考え方を真似るのではなく(もちろん、「盗む」ことも大事だが)自分のやり方を考えることだった。
この人生の目的とはなんだろう。今、職場でジョブコーチなり発達障害者に働きやすいシステム作りなりを微力ながら目指していて、それは続けるつもりだ。そして空いた時間は映画を観るなり哲学書や純文学を読むなりして、自分なりの哲学を編もうかと考えている。過去のことを思い出す。生ける屍のようにただ惰性で暮らし、荒れていた日々……そんな日々を思うと今は使命感を以てやれることがあって、幸せなのだと思う。ここまで来るのにずいぶんかかった。長かった。死にそうになったこともあったっけ。だけど、大事なのはこれからだ。
夜、やることもなくなって古井由吉や吉田健一や保坂和志を読み返す。すでに何度も読んだ本だというのに発見がある。それはそれで面白い。だが、フレッシュな新人の書いたものに触れたいとも思う。乗代雄介の書いたものなどを読んでみようか。もしかすると、ここ最近ずっと欲求不満な気持ちを抱えているのはこうして「夢中になれる」作家なりミュージシャンなりを見つけられていないからかもしれないと思った。ピチカート・ファイヴを引くまでもなく「世の中にはキャッチーやハッピーがいっぱいある」。それを探したいと思った。