職場で「ふれあい祭り」の通訳の話をしたら同僚の方が喜んで下さった。いや、もちろん実際にどんな形のものになるかわからない。だから大ボラを吹くのも恥ずかしいというものだが、そうして喜んで下さる方がおられるということが励みになった。その笑顔が私にとっての希望なのかもしれない、と思った。その笑顔が意味しているのは、取りも直さず私のために喜んで下さる方、私のことを思って下さる方が確実におられるということだからだ。私はひとりではない……その事実が身に沁みた。そうして仕事をすることができた。
私も人間なので、時にどうしようもない怒りに駆られることもある。正直キレそうになることもある。だが、ネットで読んだ「感情のピークは6秒で過ぎ去る」という情報を思い出すようにしている。キレそうになったら、とりあえず待つこと。そして冷静に考えること。それを私は己に課している。過去のことを思い出す。ネットでキレて、派手に他人と喧嘩をして恥をかいたことがあった。今は何でもかんでも炎上沙汰になってしまうので、そうして恥をかいて反省するという経験を積むことができにくい時代になっているのかもしれないな。と思う。
グループホームの方に自分の事情を話した。もうグループホームでの自立を諦めないといけないかもしれない、とさえ考える。夢のまた夢だったのだろうか、と……だが、何もかも投げ出して逃げてしまうのもみっともない。職場で与えられた仕事はとにかくこなさないといけないし、「ふれあい祭り」のこともある。信頼を勝手にフイにすることはしたくない。こんな時であっても英語の勉強も続けていきたい。敗者になるとしても、気品は忘れたくない。こんな時代にこんなことを言うのは反動的というものだろうが、それが私の中にある「男の意地」というものだ。
夜、ZOOMでのミーティングに参加する。そこで発達障害についての話を聞く。視覚で情報を記憶するのが得意な子の話を聞かせてもらった。どんな人にも、その人に応じた得意分野があると思う。私のように活字を読むことが得意な人もいれば、絵で捉えたり音楽で捉えたりするのが得意な人もいるだろう。教育の場で杓子定規に教えるのではなく、多様な「得意」に合わせて指導していくことが大事なのではないかと思った。ジョブコーチの話についても訊かれたので思うことを答えた。楽しいひと時だった。ただ、それでも精神的には参ってしまっていたので早々に眠った。