2022/10/11

秋晴れの朝。映画『人のセックスを笑うな』のサウンドトラックから「My Life」を聴く。この曲から感じられる多幸感というか、ポジティブな波動/バイブに浸っていると、鬱だったのを忘れて陶然とした気持ちになる。また『人のセックスを笑うな』を観るのもいいかもしれない。井口奈己監督の映画は実は苦手で『ニシノユキヒコの恋と冒険』にしても『犬猫』にしても観ていて少し苦しかったのだけれど、ただ井口監督のそうした映画から得られたある種の「目線」というか「捉え方」はこうして現実を見る時に有益に影響しているかな、とも思う。

私の思考に大きな影響を及ぼしたのは、この日記でもしばしば言及している宮台真司からである。彼は自信や自己肯定感について、大雑把に言えば「自由な試行錯誤から生まれたもの」と「崇高なものと一体化することによるもの」という2種類があると語っている。私なりにもっとざっくり言えば「内側からあふれる自己肯定感」と「外にすがる自己肯定感」と分けられる。例えば、私は今「自己肯定感」を感じている。だがそれは私が単に私でありそれに満足しているからである。もちろんこれは私が完璧な人間であることを意味しない。不完全だが、それが私であると受け容れられている。それゆえに満足できている。

「外にすがる自己肯定感」で言えば、村上春樹がエッセイで時折書くように「名門大学を出たこと」にいつまでもこだわるとか、「共通一次で取った点数をいつまでも自慢し続ける」とかがそういう自己肯定感になる。「すごいね。で、今のあんたは?」で終わる話である。私自身、この2種類の自己肯定感を混同して「私も何しろ早稲田を出たのだから、すごいと思わなければいけなかったんだ」とアホなことを考えていたことがあったのだった。今はそんなことを考えていない。私は今のこの私に満足できている。それはもちろんどこの大学を出たとかそんなことと一ミリも関係しない。

でも、そんな風になるまでにも長い年月が必要だった。私の場合その自己肯定感は英語によって養われたと思っている。英語は本当に細かい試行錯誤から成り立つ。どうすれば相手に伝わるかを考えてセンテンスをひとつずつ組み立てていく、その過程がそのままトライアル・アンド・エラーだ。それがいい方向に働いたのだろう。幸いなことに私が出た早稲田は世界的にはほとんど無名なので、人はそんなことよりも私が語る言葉の内容それ自体を吟味して友だちになってくれる。それもまたよかったのだと思う。今、私はこの私であることを受け容れられる。それ自体が幸せなことだと思うのだった。

宮台真司が語る自己肯定感についてはこちらのブログ記事が詳細に紹介しておられる。長い記事だが、一読を薦めたい。

https://www.yamama48.com/entry/2018/12/16/220000www.yamama48.com