跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/10 BGM: Bob Dylan "World Gone Wrong"

グループホームの施設長の方とお会いする機会があった。今月の利用料を渡す。今年もこの方を始めとするスタッフの方にたいへんお世話になった(感謝!)。お金を渡してしまい、手元に残ったお金の少なさに貧乏生活の悲しみを噛み締める。来年はどんな年になるのだろう……その後読書メーター青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀』の続巻が出ることを知り、その施設長の方にLINEする。買いたい本が出るとそうしてLINEを送ることになっているのだった。ボーナスマネーが出た後で考えよう、という話になる。果たしてボーナスは出るのだろうか。

図書館で借りた伊藤亜紗・村瀨孝生『ぼけと利他』を読む。往復書簡なのだけれど、高齢化社会を迎えたこの社会のリアルを射抜いた興味深い1冊だと思った。「ぼけ」という強烈な言葉をトリガーとして、彼らは要介護の老人たちの実相に切り込みそこから私たちが生きるこの世界を語る。「ぼけ」た老人たちは必ずしも断絶した理解不能な存在ではなく、彼らなりに世界を捉える主体を持つ存在である(と書いて、実に当たり前のことを書いているが私自身忘れがちな視点であることに気づかされる)。その「ぼけ」た人たちとどう共生したらいいかが手探りで語られる。

私は自閉症者なので、自分自身に関して「ままならない」存在だなと思うことがある。実際、アルチュール・ランボーではないが「私は他者である」と感じられる瞬間はないだろうか。その自分自身や他者の「ままならなさ」に触れることは、すなわち世界の「ままならなさ」に触れ深遠さを感じることでもあるのではないかと思う。かつて読み耽った宮台真司の映画評を思い出す。宮台真司自身、岩井俊二などの優れた映画から世界を生きることの「ままならなさ」を論じ、そこからこの世界の実相に迫ろうとしていたと理解しているからだ。宮台ならこの本をどう読むのだろう。

夜、時間があったので青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀』を(いまさら)読む。今年亡くなられた青山真治の日記なのだけれど、青山は実によく各メディアを睨んでいた人だ、と思った。映画、ドラマ、音楽……彼に倣ってボブ・ディランのアルバムを聞き返し、青山が一見するとスノッブなシネフィル好みのスカした作品を撮ってばかりいたようでありながら、実はベースの部分で極めて鋭利な批評眼を持つ、「反時代的」と言っても過言ではない存在だったことを思う。改めて惜しい方を亡くした……と書くと「何? では『惜しくない方』がいるとでも言うのか!」と言われそうなのが昨今のネットなのが剣呑だ。ともあれ合掌。