跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/28 BGM: Boards Of Canada - Happy Cycling

今日は休みだった。朝、イオンに行く。そしてそこで青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀Ⅱ』を読み進める。ふと、うっかりしていてまだ持っているシステム手帳用の2023年分のリフィルを買っていないことに気づき、書店で買い求める。とはいえ、果たしてこのリフィルをどこまで使うのだろうかとも考え込んでしまう。予定はいつもスマートフォンに入れてしまうので、リフィルが活躍する場がなかなかなく今年のリフィルもぜんぜん使わないまま終わってしまいそうなのだった。一年の計は元旦にありというが、私はすでに今からこの来年のリフィルを使いこなしたいと考え始めている。

私は自分の中の「ヘンタイ」と向き合わなければならないのだろうか、と考える。自分の中にあるヨコシマな願望……かつて、私は人間の本性はそうしたヨコシマな欲望の中にあると思っていた。そうした欲望を誰もが持っていて、あらゆる人間は汚い存在だと。本質的に人間は石炭のような存在であり、人はそれをあたかもダイアモンドのように見せようとする……だが、今は仮にそんな汚い存在であるとしても、それを取り繕って飾ることにこそある種の「たしなみ」「誇り」があると思っている。露悪的に振る舞うのはみっともないことだ。だが、私だって欲望は持ち合わせている。だから下ネタを解禁する、というわけではないにせよ。

思春期に私が影響を受けたモーマスというシンガー・ソングライターがいるのだけど、彼の『Voyager』『Timeload』というアルバムを聴きながら青山真治の日記を読み続け、我ながら呆れてしまうがほぼ1日を費やし夜に読み終える。死に近づくにつれて、青山真治の思念は鋭敏さを極めていく。私はこの本の中で彼は「不死」を獲得したと言ってもいいのではないかとすら思った。黒沢清『CURE』に出てくる催眠術師の音源のようにこの本はある種「触媒」となり、後に現れる読者によって読まれることで遺産として意志が受け継がれていくのだろう。それが今からさっそく興味深く感じられる。彼は生き続ける……。

夜、断酒会に行く。今年最後の断酒会だ。認知症について学ぶ。彼らへの向き合い方として、急に環境を変えたりしないことや尊厳を大事にすることなどの大切さが語られていた。そのままそれらは自閉症者へのあるべき向き合い方と重なるとも思った。認知症自閉症も、向き合い方さえ工夫すれば「困った障害」としてのトラブルを抑えられる。もしくはそこに依存症も付け加えられるかもしれない。私はアルコール依存症を患っているが、今のところセルフケアを施して向き合うことを貫けている。こうしたセルフケアの場としての断酒会があること、その場を提供して下さる方々がおられること、その場とつながれたことを改めてありがたく思う。ああ、今年も断酒を続けられた有意義な1年だった。