跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/04

今日は早番だった。朝、ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・USA』を聴いてテンションを上げる。ふと、私自身の過去について考える。知られるようにこの歌はベトナム戦争で負った精神的外傷に耐えながらアメリカで生きていく/生き延びていく、ある種の怒りと嘆きが込められた歌である(少なくとも私はそう解釈している)。私自身はベトナム戦争に従軍したことはないのでそんな傷は一ミリも負っていないが、私自身も過去に傷を負ってその傷と向き合いながら生きている。時には腸が煮えくり返る思いに苦しめられることもある。そんなことを考えてしまった。

怒りに燃え、復讐を考え……いつか私につらく当たった人の家に火をつけてやろうと思い、そうして生きてきた。そうしているうちに私の中で世界全体に対する憎悪が膨らみ始め、どいつもこいつも皆殺しだ(もちろん言葉の綾なのだが)と思い……そんなことを思い出す。だが、不思議なのは今の私はそんな風な憎悪に囚われていないということだ。どこで変わったのだろう? どこで今のような自分になったのか。今は過去に囚われず、今を楽しく生きられればいいと思い始めている。いや、もともと私はそうした復讐に生きられるだけの器を持たない「ちゃちな」人間だったということなのだろうかと思うのだけれど。

ノルウェイの森』を読む時、私はいつもジョイ・ディヴィジョンの音楽を聴く。ジョイ・ディヴィジョンの暗さと『ノルウェイの森』が合うような気がするからだ。メランコリーという要素で両者は共通していると思う。そして、そのメランコリーの海の中に沈みながら私は自分の中にいつまでも残り続ける傷と向き合う。ああ、暗い音楽を聴きながら過去の私はずっと死にたい死にたいと思い、あるいはせめて文句のひとつもいじめっ子たちに言わなければ死ぬに死ねないと思い……黒沢清『CURE』の登場人物のようにいつ爆発するかわからない憎悪を煮えたぎらせながら生きていた。

メランコリックな音楽、グルーミーな音楽……レディオヘッドアラブ・ストラップジョイ・ディヴィジョンモグワイエリオット・スミスニルヴァーナデペッシュ・モードナイン・インチ・ネイルズヴェルヴェット・アンダーグラウンド。日本だとCoccoがいる。そういう音楽を聴きながらずっと私は酒に溺れ、自分が浸っている不幸が永遠のものだと思っていたことを思い出す。一生自分は幸せになれないのだ、と。そう考えると「今」が信じられない。ドラマ『古畑任三郎』で田村正和が「人は生まれ変われる」と語ったことを思い出す……それにしても、今日はなんでこんな話題について書いてしまったのだろう? わからない。が、ひとつ言えるのはネガティブに生きるのも単純に疲れるということだ。気分転換にファットボーイ・スリムでも聞こうかな。