跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/09/03

BGM: 小沢健二 "ある光"

今日は早番だった。ここのところずっと映画から遠ざかっていたのだけど、また映画を観始めようかと考えている。時期が外れてしまったけれど北野武菊次郎の夏』か、あるいは『キッズ・リターン』を観たいと思う。昔は北野武の映画をあまり好まなかったのだけれど(評価が高いから見るという、ミーハーな興味から齧ったに過ぎなかった)、今はもっと謙虚な気持ちから観られそうに思う。人生、いいことばかりではないけれどそれでも生きるに値する……「ま、いっちょやってみるか」というくらいの前向きな気持ち。そんなものが伝わってくるように思う……勝手な解釈に過ぎないのだが。

前に断酒会に出席した時、幸せとは何だろうかという話になったことを思い出す。清原和博について、彼があれだけのヒーローになったにも関わらず苦しみを抱えて薬物に手を出したという話になった。私はアーネスト・ヘミングウェイのことを思い出した。ヘミングウェイも文豪として名を馳せたが、最後は自殺で幕を閉じた。彼らの苦しみが私のような凡人にわかるわけもない。だからあれこれ推測するのはおこがましいとも思う……と書いて、エリック・クラプトンのことをふと思い出した。彼もまたストラッグルを経験し、壁を乗り越えた人でもあったのだった。

才能に恵まれ、その才能を発揮する機会にも恵まれ、見事大成した人々。だが、その才能が同時に彼らを振り回し、生きづらさを感じさせる方向に向かったとしたらどうだろう。それは幸せな人生とは言えまい。だが、彼らはその生きづらさと向き合い、生きようとしている(ヘミングウェイにしても、彼は最後の最後まで生きようとしたと解釈している)。その姿勢が、彼らの芸術や人間性に確かな深みを与え、こちらを唸らせる。私は実に浅い人間性しか持ち合わせていない。実に「激安」な人間に過ぎない。なので、彼らの佇まいから見習いたいとも思うのだった。

エリック・クラプトン『アンプラグド』を聴き続けている。このアルバムにしたって、若い頃は魅力がちっともわからなかった。ただ弛緩した演奏が続くだけの腑抜けたアルバムだと思っていたのだった。とんでもない勘違いだ。確かにリラックスしたムードで演奏されているが、その中に確かな「旨味」があると思う。私も若い頃は激しい音楽が好きで、そうした音楽を聴いてはシリアスに考え込む日々を送っていたのだけど、今はこうしたマイルドな芸術を好むようになった。成長、なのだろうか。だったらいいなと思う。このアルバムを聴きつつヘミングウェイディケンズに挑むところから芸術の秋を始めたい。