跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/07

秋深し……というにはまだ早いだろうか。私にとっての青春の一枚であるR.E.M.というアメリカのロック・バンドの『Automatic For The People』というアルバムを聴く。「Everybody Hurts」という曲が収められている。直訳すると「みんな傷つく」となる。大嫌いな曲だった。この曲は主に10代の自殺志願者に対して思い止まらせるためのメッセージ・ソングだと聞いたが、「みんな傷つく」からどうだっていうんだ、と20代の私は考えたのである。なら、私のこの傷はどうってことない、ありふれた傷なのだ、だから気にするな……とでも言いたいのか? と。まあ、言いがかりというか八つ当たりだ。

でも、今は違う印象を抱いている。「みんな傷つく」ということは、どんなに気をつけていたって、どんなに嫌がったところで「傷つくべき時には傷つく(というか、傷つかなければならない)」という意味ではないかと。なら、傷を傷としてきちんと自覚して、それを呑み込むことが肝要ではないかなとも思うのである。もちろん、傷つかないで済むならそれに越したことはない。でも、そんなわけにはいかない。なら、傷つくこともありうるのが人生だと受け容れて、その傷を覚えておいてこれからの人生に生かしていくしかない、と。そんなことを歌った歌のように、今の私には聞こえる。

図書館に行き、スコット・フィッツジェラルドという作家の本『ある作家の夕刻』を借りる。フィッツジェラルド村上春樹に影響を与えた『グレート・ギャツビー』で知られているのだけれど、その村上春樹が訳している『ある作家の夕刻』を少し読んだ限りでは確かに似ていると思った。どうしたって訪れる破滅をどう受け止めるか、という。気晴らしや暇つぶしで読むべきスナック菓子のような作品ではなく(むろん、スナック菓子的作品を貶すつもりはない。スナック菓子を舐めてはならない)、心して受け止めないといけない作家のように思った。ただ、同じ春樹が訳したレイモンド・カーヴァーと比べると私の中ではやや劣るのだけど……。

夜、北野武あの夏、いちばん静かな海。』を観る。北野武の映画はあまり熱心に観たことがなかった。生々しい暴力や殺戮が苦手なのだから仕方がない。だが、この映画は甘美なロマンティシズムを湛えた秀作のように思った。ひと言も言葉を発しない真木蔵人の、ゴダール気狂いピエロ』に登場するジャン=ポール・ベルモンドにも似た色気すら感じる存在感が見事。そう考えると色使いといい、実は隠れた(北野すら自覚していない)ゴダールへのオマージュを読み取ることさえできるのかもしれない……と、「大ボラ」を吹いてみる。ジャン=ポール・ベルモンドへの哀悼の意を表しつつ。