跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/28

キム・ドヨン『82年生まれ、キム・ジヨン』という映画を観た。時折祖母の人格に憑依されてしまう主人公のジヨンが、紆余曲折の末に自分自身の感情を小説として外に出せるようになるまでを綴った映画だ。面白く観られた。女性として生まれたわけでもなければ女性性を自覚して生きてきたわけでもないので、この世で女性として生きていくことがどれだけ大変か教わったように思った。セクハラや変質者との戦い。学校や家庭や職場で残る不平等……これらの生きづらさを炙り出しただけでも大したものだと思った。観察眼の鋭さに唸らされた。原作小説も読んでみたい。

再び書くのだけれど、かつて私が信頼できるものと言えば本だった。人は嘘を吐く。意地悪なことをする。だけれども、本は嘘を吐かないし裏切らない。ああ、悲しい時期が続いた。今は友だちが私の周りに居るのを感じる。彼らの力、彼らの温もりを感じる。生きてきてよかったと思った。と同時に、あんなしんどい時期をよく本だけを手がかりに生きてきたなと思う。なんとしても小説家になりたい、という意地があったのだと思う。今は小説家になりたいとは思っていない。もっと別の野心がある。今の職場で叶えたい夢が……。

とはいえ、小説家にはなれなくともこの日記がもっと読まれたらいいなというようなことは考える。一発ヒットしないか、そうしたら働かなくて済むし、あわよくばあんな人と会えたりこんなこともできたり、と……おかしなもので、こちらがなにもしていない時にそんな煩悩は現れるようなのだ。仕事をしている時は煩悩は現れない。この事実から察するに――「私だけだろうが」という但し書きつきで書くのだけれど――どうやら仕事をしていないと自分はダメみたいだ。仕事をして、社会と関わる。そうすれば煩悩や邪念は嘘のように消える。苦労して仕事をしているのはそういう理由があるからでもある。

いつも音楽を聴きながら日記を書くのだけれど、今聴いているのはブラーの『グレート・エスケープ』というアルバムだ。青春時代に舐めるように聴いた一枚。イギリス人ならではのポップさと毒のあるユーモアが堪らない(なにしろビートルズを産んだ国なのだから)。ユーモアの力について考える。V・E・フランクル強制収容所の体験を書いた『夜と霧』の著者だ)もユーモアの力を訴えている。私のこの日記に足りないのもユーモアなのかもしれない。この日記に誰でもわかるような嘘を盛り込んでみてもいいのかな、と考えた。川上弘美『東京日記』のように……だがしかし、そんなに面白い嘘なんて容易く出てくるわけもなく。