跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/06

今日は遅番だった。午前中、時間があったのでブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読む。あまり世界情勢には詳しくないのだけれど、金持ちがますます金を稼ぎ私を含む貧者はますます貧しくならざるをえないというのは世界的な傾向なのだろうと思う。本書に登場する主人公と「母ちゃん」と「配偶者」を取り巻く環境もそうした不平等を反映している。だけれども、彼らは後ろ向きにはならない。パンクから学んだスピリットに更に磨きをかけて、こんな生きにくい時代を生き延びようとしている。そこに頼もしさを感じた。

前に読んだ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』にしてもそうなのだけれど、ブレイディみかこは本当に私たちが日々感じる実感を大事にしている人なのだろうな、と思った。抽象的なお題目から始めず、私たちが日々感じうる「ひもじい」という感覚から始めてそれを大きな次元につなげていく思考回路の持ち主なのだなと思ったのだ。本書で描かれる家族の日常風景はみずみずしくフレッシュで、決して明るいことばかりではないにせよ絶望に閉じこもってしまわない、しっかり現実を見つめて生き抜こうとする意志を感じる。その姿勢に共感を覚えた。

いつも同じことを書いているのだけれど、私はその昔生きることを諦めていた。希望を持つことを諦めていた。そして、早く死にたい死にたいとそればかり考えて人生を生きていた。生きていても気苦労が増えるばかりだし、両親のように稼げる見込みもない。なら死んだほうがマシじゃないかと思ったのだった。今はもうそんなことは考えていない。私は多分そんな「地獄」から抜け出せたというか、生き抜くことができたのだと思っている。いや、今も稼げていないけれどでも心構えはずいぶん鍛えられたと思っている。

私はこれまでの人生で、友だちという人間関係を作るのが苦手だった。2、3年もしないうちに友だちはいなくなってしまうものだったからだ。長続きする友情をどう育めばいいのかわからなかった。いろいろあって、やっとここにいるこの自分を「どこに出しても恥ずかしくない」と思えるようになってから私はそうした自信を備えた人間として人と渡り合うことができるようになり、友情を保つことができるようになったと思う。これもまた成長なのだろうと思う。生きることが全くもって恥ずかしいことだった、そんな日々から自分は遠くまで来てしまった。