跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/10

今日、社員食堂で昼ご飯を食べながらふと「現実とはなんだろうか」と考えた。リアルとはなんだろうか……中島義道『哲学の教科書』という本の中で、中島がサルトル『嘔吐』を引いて「現在」の唯一性について語るところがある。難しい議論ではない。私の目の前に広がっている光景……例えばこの瞬間私は坂本龍一を聴きながら目の前にあるパソコンを動かして日記を書いている。それらこそが「今」目の前にあるリアルである。永井玲衣『水中の哲学者たち』でもサルトルは特別な哲学者として登場する。サルトルを読んでみるべきなのだろうか。まずは『嘔吐』から?

書きたいと思っている小説のことを仕事中も考えていた。いや、頭でっかちに「こういうものを書きたい」と考えていても完成はしない。具体的な実践あるのみ。もっとシンプルに言えば「つべこべ言わずとにかく書け」だ。だが、どこから書いていいのかわからない。それで片岡義男の小説がヒントにならないだろうかと思って今日仕事終わりに彼の『と、彼女は言った』という短編集を図書館で借りてきた。まあ、難しく考えすぎずに……書くとしたら先に書いたような「今」ここにこうして世界が広がっていることの不思議さと深遠さについて書いてみたい、と思った。

夜、京都に住んでいる女友だちの体験談をとあるミーティングのメンバーとして私たちが聞く機会があった。そこで私は(知ったかぶって)日本語と英語の相違について話した。レゴブロックのように単語を組み合わせて構文を作り上げていく英語と、スライムのような単語をくっつけて構文を練り上げる日本語について。思えば遠くへ来たもんだ……学校で英語を勉強していた時、英語は単に苦行でしかなかった。積極的な意味を見い出せずやらされるもの……今は意味が見える。自分から積極的に英語を勉強しようという気になった。そんなものなのかもしれない。

その後、clubhouseでシカゴ在住で日本語と英語のバイリンガルの女性が司会となって運営されるルームに入った。そこで英語をベースとしたゲームを楽しむ。私の英語は決して上手いものではない。少なくとも言いたいことを十全に言い表せているとは言えないし、長く語ろうとすると支離滅裂になる。当然恥をかく。だが、猪木に倣って恥をかきながらそれでも一歩踏み出して英語を話す。今日もそんな感じで英語で話すことを楽しんだ。傷つかず、スマートに話そうとしても(少なくとも私の場合は)うまくいかない。だから「これでいいのだ」と構えている。これでいいのだ!