跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/08 BGM: New Order - World in Motion

ぼくはウィトゲンシュタインから哲学のイロハを学んだ。いや、生きる方針やライフハックを学んだと言ってもいい。彼は『論理哲学論考』の中で「世界は私の意志から独立である」と書いている。これをアンポンタンなぼくなりに噛み砕くと、「ぼくがどう考えようがそれとは関係なく世界は動く」となる。この考え方がぼくには実にしっくりくる。というのは、ぼくは高校生の頃にまさにこのウィトゲンシュタイン的な体験をしたからだ。ぼくは当時、好きな音楽の話をシェアしたいと思って放送部に入った。でも、そこで部員全員からおみそにされて、まったく嫌われるという経験をした。ぼくは何か嫌われるようなことをしたのだろうか。思い出せない。ぼくの立ち居振る舞いや音楽のセンスが引き金/トリガーとなって、ぼくにいかなる釈明のチャンスも与えられずに嫌われ者にされてしまう経験をしてしまった……そのことが今でも実はトラウマとなって残っていて、「何かしくじればまたみんなぼくの元から去ってしまう」と、まるでナイン・インチ・ネイルズの歌詞みたいに絶望的なことを考えてしまうのである。何かしくじれば、みんな去っていく。そして、ぼくはいかなることも弁明できず独りぼっちにされてしまう……。

だから、ぼくは「いじめに打ち克つ強さ」「いじめに負けない心」といったものを信用しない。暴力的な手段で跳ね返していじめに勝つという発想はぼくのようなひ弱な人間にはリアルじゃないと思ってしまうし(それにそうして「跳ね返す」と、「結局暴力でしかいじめは解決できない」という教訓を得て「力で人をねじ伏せることはいいことだ」と味をしめてしまうのではないかと危惧する)、あるいは自分だけの世界に閉じこもってやりすごしていじめを耐え抜くという解決方法もなんだかリアルじゃないとも思ってしまう。孤独を生き抜きいじめに打ち克つと、そこから結局他者とのコミュニケーションによって育まれるべき自尊感情が育たなくなってしまう。ぼくの場合は大学に入ってからもなかなか人に心を開くことができず、上に書いたこととつながるけれど「相手に嫌われているのではないか」「この人もいつかぼくから離れていくのではないか」と思ってしまってそれで友だちを作れず、したがって鬱をこじらせるしかなく苦しい時期を過ごした。ようやくいじめから解放されたのに、ぼくのマインドはズタズタにされたままだった。

そして今……今はこうしていろいろな人とつながることができている。そしてその人たちがぼくを見放すことはないだろう、と確かに信じられる。ぼくは完全無欠ではないので失敗もするし、ブザマな姿も晒す。でも、ぼくの友だちはぼくのことをわかってくれる。そこにぼくは確かな「絆」を感じる。「そのままのあなたでいい」……そんなメッセージを感じる。だから、ぼくは安心してブザマな自分自身をそのまま晒して恥をかくこともできる。そうして失敗しても、確かに「やっちまった」と思うこともあるけれど、でもみんなぼくを全否定したりしないとわかっているからだ。この「絆」……いや、証書を書いたわけではないからぼくたちはいちいち「絆」の存在を確かめ合って生きるわけではない。だから確率的なことを言えば明日その「絆」を反故にされて絶交される可能性だってゼロではない。現にぼくはそんな不条理に悩んできた……でも今は、ぼくはそんなことを心配したりしない。可能性の話をすれば「ぼくの心臓がある日突然止まる可能性」だってゼロではないけれど、それでもぼくは「あえて」楽しく生きることを選ぶ。それと同じで、あれこれ思い悩むより「ケ・セラ・セラ」の精神で「とりあえず」成り立っている「今」を楽しみたいと思う。

今日はダラダラと過ごしてしまった。サルトル『嘔吐』の読書も進まず、映画も観られず(アマプラで観られるらしいブライアン・ウィルソンについての映画を観たいと思っているのだけれど)。夜に両親にLINEで、「橋になりたい」という自分の夢について話す。この町と世界をつなぐ人材の1人になりたい、と。母から「メールありがとう。応援しているよ」と返事が届いた。両親とこうして「絆」を結び直すことができたことに新たに喜びを感じる。そして、ウィトゲンシュタイン的な「世界は私の意志から独立である」という言葉が示す別の真実の位相について考える。ぼくというちっぽけな脳、ちっぽけな人間の思惑を超えて広大な世界が外にあり、その世界にぼくは包み込まれている……なんだかスピリチュアルな響きのある考え方になってきたが、ぼくにとってはこれもまたリアルというかしっくりくる考え方だ。ぼくは1人ではない。ぼくの存在はぼくだけのものではない。それこそがこの世にぼくがいるという意味なのかなと思ってしまう。「とても大事な キミの想いは 無駄にならない 世界は廻る」(Perfumeポリリズム」)。