今日は遅番だったので午前中時間があった。clubhouseで少し話をする。泣いてしまった……46年間、決して愉快な思い出ばかりとは言えない人生だった。辛いことも色々あった。そんなことを思い出してしまった。英語でブログで発信していることについて、「もったいない」と言われたのが心に残った。「もったいない」に対応する日本語を思いつかないのだけれど、この場合「過小評価されている」という意味になるだろうか。もっと自分の実力や伸びしろを認めてもらいたいという欲が出てきたということなのかもしれない。
なぜ英語を勉強するのか、について考えた。clubhouseも英語の勉強で使い始めたからだ。それはきっと、私がこれまでの人生で経験したことを人に伝えることに意義があると思うからだ。これまで体験してきたことを二度と繰り返さないために、あるいは私が体験してきたことが誰かにとっての教訓になるように……そんなことを思った。この世界にもっと友だちを増やしたい。私の言葉を聞いてくれる人を増やし、私もまたその相手にとっての聞き役となりたい。そんな信頼関係を強めることができたらどれだけいいだろうか。
私の書くものを褒めてくれる人が居たので、「いつも有難う」とコメントした。彼女からは「これはassessmentです」という言葉が返ってきた。本を沢山読み、深く考えていることを「評価」するのだと。なるほど……こうして英語圏の人と話していると、自分の狭い価値観に留まり続けることがバカらしくなる。だが、会社の中では会社の秩序や価値観に従わなければならない。私も、会社の価値観に従えるのなら従いたい。しかしそんなことはできない。私が私らしくあろうとすると、私はアウトサイダーになってしまう……。
大岡昇平『成城だより』を少し読み、スティーブ・シルバーマン『Neurotribes』を少し読む。だが今日の読書は捗らなかった。過去のことを思い出して、改めて泣いてしまう。ああ、酒に溺れて40で死にたいと思っていた頃のこと……早稲田まで出て、そしてこんな仕事をしなくてはならないと腐っていた頃のことを思い出す。自分は正当に認められていないと思って……立川談志の「現実は正解なんだ」という言葉を思い出す。今の環境は必然である。だが、この環境は自分の働きかけで変えられうるものでもあるのではないだろうか。