跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/16

時々、どのようにして英語を勉強しているか訊かれることがある。私の場合、日々WhatsAppやDiscordを使って英語でチャットを楽しんでいるのがまず1つ。そして日本語と英語で日記やメモを書いていることも挙げられる。あるいは、時折市が催す英会話教室に通ったりしている(私設の英会話教室と違って、実にリーズナブルな価格で通うことができる)。他には英語のペーパーバックを読んだりすることもある。YouTubeやTEDトークポッドキャストに触れるのも手かもしれない。字幕で映画を観るのも勉強になるだろう。こうして私は英語を学んでいる。

いつも同じことを書くのだけれど、私は自分の英語に自信があるわけではない。留学経験もなければTOEICとも無縁なので、自分の英語の能力を自分で見極めることができない。ただ、私は英語で表現することが好きなので続けているだけだ。ヘタと言われるならそれでもいい、ヘタならなおのこと続けてうまくなるまでだと思っている。日々、小さなインプットとアウトプットを積み重ねて、地道に英語の能力を高めたいと思っているのだった。うまい人に憧れることはあるけれど、私は私のやり方で勉強したいと思っている。もう若くないので、自分が落ち着いてできる勉強法に則って学んでいきたい。

朝、スティーブ・シルバーマン『NeuroTribes』が本棚にあることに気づき、またこの本を読み始めてみようと思った。この本、実は日本では『自閉症の世界』という題で講談社ブルーバックスで刊行されたのだけれど、一部の読者からは訳がよくないと不評だ。原著で読んでいると、細かい情報が惜しげもなく投入された力作であることが伝わってくるので私自身訳が改良されてもっと広く読まれるものになればと思っている。だが、拙い訳であってもこの本が自閉症の研究に大事な一石を投じたという事実は変わらない。素晴らしい本だ。改訳されたなら、この国の自閉症発達障害を取り巻く空気は確実に変わるだろう。

その傍ら、『〈自閉症学〉のすすめ』を読み進める。この本では自閉症者の現実の体感の仕方が定型発達者と異なる可能性が語られている。平たく言えば自閉症者は定型発達者には感じ取れない現実を体感しているということになる。それゆえに、自閉症者は「見えない現実」を見ている存在として貴重だ、ということが語られる。『NeuroTribes』でも「社会は自閉症者を必要としている」ということが語られていたっけ。私は、「誰もが誰かを必要としている」というベーシックな地点に戻りたいと思っている。不必要な存在なんて一人としていない、と。