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御法川修『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』

御法川修『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』を観る。いつもながら頓珍漢なことから書くと、大学を卒業する頃になって一社たりとも内定を獲得できなかった私は(そういう時代だったのだ)、遂に生きることを諦めて自殺未遂をした。だが、死にきれず生き延びて半年間ニートとして生きることになった。今もそうと言えばそうなのだが、私は単細胞なのでまともに就職できなかった自分を恥じ、それでも生き延びる理由を探して「『とりあえず』生きようかな」というところに落ち着いたのだった。デカい夢や希望は持たない。「とりあえず」今日を大事に生きる。それをこれから続けて、死ぬまで「とりあえず」生きていこう……そう思ったのだった。


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なんでそんな過去の恥部を明かしたかというと、この映画でレストラン(カフェかな?)のマネージャー役を演じている井浦新が「とりあえず」を口癖にしているのを知ったからである。そこで私の過去を思い出したというわけだ。この映画もまた(邦画にありがちといえばありがちなのだが)村上春樹言うところの「小確幸」と宮台真司言うところの「終わりなき日常」を綴ったものとなっている。つまり、デカい夢や希望を掲げてマジに生きるのではなく、日々のささやかな幸せを丁寧に拾ってこのうっすら漂う暗い空気の中をしたたかに生きていこう……そんなメッセージを感じたのだった。

この映画ではタイトルが示すとおり3人の女性たちの日々が素朴に綴られる。レストラン(かカフェ)の社員として働く(つまり、アルバイトの立場の人間から時に羨望の的となる)「すーちゃん」。それなりの大手企業と思われる会社でバリバリビジネスパーソンとして働く「まいちゃん」。自宅で母の介護をしながら在宅のウェブデザイナーとして働く「さわ子さん」。この3人は、どこで出会ったのか、なぜ気が合うのか作中では説明されない。だけれども腐れ縁で繋がっている。そんな3人がそれぞれ「顔で笑って心で泣く」思いをして、それでも生きていく。そんな日々が綴られる。

実を言うと、観ていてキツい思いをしたのも確かだった。というのは、この監督や制作陣は「光るショット」を撮ることにそんなに貪欲ではないみたいだからだ。だから、観終えた今でも「脳裏に焼き付く」という強烈さを感じさせる場面がさほど見当たらない。いや、井浦新の鼻血や自転車の2人乗りで2人で泣く場面、逆さまの東京タワーなどはなかなかなのだが、もう少し映像の綺麗さに色気を出してみてもよかったのではないかなとも思う。逆に言えばこの映画はショットを捨ててストーリーテリングの堅実さでヒューマン・ドラマを描くことに腐心したのかなとも思ったのだけれど……。

だが、ストーリーテリングとしても「どうかなあ……」と思わなくもない。3人の悩みや愚痴に生々しさが足りないというか、あらかじめ予想できるセクハラやその他日常の些事を嘆いてみせるだけで、ユーモアは感じられるもののそんなに鋭くもないのだった。男社会や格差社会を撃つドギツいユーモアがあってもよかったのに、とも思う。このあたりは益田ミリの原作に忠実なのだろうか? 私は例によって原作を読まずにこの映画を観てしまったので、確かめる機会があれば読んでみたいところだ。同じような「女性の本音」を炙り出した映画に比べると強度が弱いと思う。

しかし、この映画を斬って捨てるつもりもない。「とりあえず」に代表される知恵を真面目に語ったところで、例えばアランの『幸福論』やホリエモンの人生観と対比させれば面白いものが出てくるのではないかなとも思う(私はその程度には堀江貴文を評価している)。ありえなかった/選ばなかった人生への未練を捨てて、「今」を、「とりあえず」生きる。堅実に、着実に。夢や希望を持とうとして息苦しく/生き苦しくならないように。そんなポジティブな方向性を示唆した映画として、私は支持したい。だからこそ不満が募るのでこの駄文のようなことを書いてしまうのだった。