跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/07

昨日に引き続き映画三昧の日にしたいと思い、朝にネットフリックスで森義仁監督『ボクたちはみんな大人になれなかった』を観る。観る前はさほど期待はしていなかった。この映画は邦画なのだけれど、後ろ向きというか内向的な映画ではないかと思ったのだった。確かにこの映画はそんな「内向的な」映画ではあった。だが、無視できない問題を提示しているようにも感じられたのだ。この映画の主人公の年齢は(恐らく)46歳。私と同い年だ。その年齢の人間が持つだろう世界観や人生観が巧く表現されているような、そんな気がしたのである。

私やこの映画の主人公の年齢は「ロスジェネ」と呼ばれる。ベビーブームがもたらした受験戦争を勝ち抜かざるをえず、その後に訪れた就職氷河期を生き延びざるをえなかった年齢である。私も就職氷河期は相当苦労したので、この映画の主人公の腐り方というか大人になり方というのは共感できるように思った。それ故にこの映画が「外」に怒りを向けないところが気になった。貧乏暮らしを強いられ、老後の保証なんて夢物語であるという生きづらさは綴られるがその生きづらさをもたらした政治経済に対する怒りが「外」に向いていないのだ。そこが気になった。

ただ、それを以てただちに「内向的」で「感傷的」な映画と断じることもできないと思った。まずはこの生きづらさを抱え込み、誠実に向き合おうとする姿勢こそがこの映画を作らせたのかもしれないな、と思わされたのだ。丁寧に作られた映画であることはわかるので、この映画が「ロスジェネ『以外』」の人にどう受け取られうるか、見てみたいと思った。独りよがりな映画と受け取られるのか。共感を以て受け取られるのか。単にファッションを描いた「シャレオツ」な映画と受け取られるのだけは嫌だと思うのだが、はてさて……。

時折、色んな人が私のことを「シネフィル」と呼ぶ、まさか! 40すぎまで映画なんてロクに観たこともなかったし、今の私よりももっと好奇心旺盛な大学生の方がよっぽどいろんな映画を観る「シネフィル」であるはずだ(イヤミではなく本気で言う)。だが、私みたいなうんこのような(失礼!)感想を語る人が他にどこにも居ないためにしょうがなく書いているだけである。読書にしても音楽にしても映画にしても、「なんでわかってくれないんだ」という怨恨から書いている。我ながらいつも特殊過ぎる感想が出てくることに驚いてしまう。