跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/31

BGM: King Crimson "Red"

昨日久しぶりに映画を観たせいで、再び映画を観たいという欲が強まっている。こうなると読む本も映画関係の本ばかりになってしまう。今日は宮台真司『〈世界〉はそもそもデタラメである』を少し読んだ。宮台の映画評論は好きでよく読んでいる。彼はオーソドックスな映画評を書かない。映画評を通して彼は内省的になぜこの社会が生きづらいのか考え、そこから救われる処方箋を描き出そうとしているように見える。それが、やはり同じように生きづらさを感じている私の問題意識に訴えかけるのだ。大晦日の読書はそんな風にして終わった。

私が映画を観始めるようになったのは40を過ぎてからだ。音楽雑誌『ele-king』を買い、そこで展開されていたライターの対談で数多くの映画に触れられていたのを読み、音楽を語るために(あるいは「文化」を語るために)映画を観るのは必須なのだなと悟って、それまで敬遠してきた映画に手を染めることにしたのだった。所詮は付け焼き刃の知識なので私はシネフィルを名乗ることは絶対にしないつもりなのだけれど、それでも私の映画評を信頼して下さる方も居られるようでそれが嬉しい。私自身、映画を好きになってきたように思う。

晦日とはいえ、私は仕事をこなしメモパッドに英語でメモを書く。今年やったことと言えば英語で日記を書き始めたことに落ち着くだろう。まさかここまで続くとは思わなかった。私はあまり努力というものを信頼していない。もし努力というものがなにかに耐える類の苦行だというのであれば、私の英語のメモもこの日記もそんな苦行ではなく「ただやりたいからやっている」という、それだけのことだ。好きこそものの上手なれ、という境地なのかもしれない。この年齢になってくるともう苦しみに耐えて、なにかを堪えて、ということもしたくなくなってしまった。

泥臭い努力……かつて、坂本龍一にまつわるドキュメンタリー『Coda』を観た時に坂本が日々運指練習を地道に行っていることを知り、感銘を受けたことを思い出す。あれほどの成功を収めた人でも日々行っているのはそうした地道な努力なのだ。日々、私も仕事をしてオフに映画を観て本を読み、こうして日記や記事を書く。その繰り返し。その繰り返しこそが人生の醍醐味であり、この平穏な生活こそが幸せであるということを噛み締めている。来年もきっとこんな風にして書いたり読んだりして過ごすのだろうなと思う。ライフ・ゴーズ・オン。