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クレイグ・ブリュワー『ルディ・レイ・ムーア』

クレイグ・ブリュワー監督『ルディ・レイ・ムーア』を観る。いきなり全方向から袋叩きに遭いかねないことを書くが、実は私は黒人文化を扱った映画が苦手である。黒人文化の結晶であるとも言える(と、乱暴にくくるのはまた火種になりうるのだが)ジャズやヒップホップやデトロイト・テクノはそれなりに聴く私なのだけれど、映画はどうしたって差別問題の歴史や現状を織り込んだものにならざるをえない(そういうものから無縁に作られた映画であっても、私はそこに「隠された」差別問題を読み解く悪いクセがある)。それ故に熱心に観られないのだ。単に私がそこまでシビアに社会問題に関わり合いたくないという怠惰に由来するものなので、本当に恥ずかしいのだけれど。


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映画のあらすじは次のとおりである。実在したというコメディアンであるルディ・レイ・ムーア を名優エディ・マーフィが演じるという構成を採っている。ルディはしがないコメディアンだったが、めげずにヒントを掴んだことから彼の笑いが爆発的にヒットし始める。彼は「ドールマイト」というあだ名で親しまれる黒人たちの人気者/スターになるのだが、それにあぐらをかくことなく映画製作に乗り出す。とはいえ、ルディは素人。彼のひらめき/思いつきで進められる映画製作が順風満帆に進むわけもなく、抱腹絶倒の事態/様相を呈し始める。果たしてどうなるのか……という映画だ。

実は、冒頭に書いたような私の怠惰に足を引っ張られてこの映画を観るのが遅れてしまった。説教臭い、暑苦しい映画だったらどうしようと思ったのだ。だが、暑苦しいというよりはホットな映画だなと思った。黒人たちのエロティックな肢体が惜しげもなく晒され、エディ・マーフィの出っ腹……いや太っ腹なキャラクターも豪快にスクリーンの中で表現される。そこには説教臭さはなく、それでいて黒人たちを見舞う問題もふんだんに盛り込まれている。エディ・マーフィが関わったこともあってか、先人であるルディへのリスペクトが込められた厳粛な中に微笑ましさ(いや「哄笑」ないしは「爆笑」?)が備わった映画だと思った。

意地悪く言えば、この映画は英語ネイティブにしかわからないものだろうとも思う。ルディ/エディの繰り出す言葉遊びに満ちたキツい下ネタ満載のジョーク/ギャグは、私にはさっぱり面白さがわからない。そして同じく、作中で制作される黒人差別問題を笑いに変えて叩きのめした映画に関しても一体なにがなんやらさっぱりわからない。珍品であることは疑いえないのだが……せいぜいサブカルチャーの領域から「悪趣味」と言われるのが関の山なんだろうなと思われる映画を作ろうとしていることが描写され、しかもそれは批評家の悪意と観客の好評という形で結実するのだ。

英語ネイティブにしかわからない言葉遊び。そして黒人にしか伝わらないかもしれないネタ。どっちにしてもマニアックであることは変わりはない。だから、そのマニアックさに閉じた作品……と意地悪く評価することもできる。だが、この映画はそんなマニアックさを「で、それがどうした?」と一笑に付すふてぶてしさというか貫禄が感じられることもまた確かなのだった。わけがわからないけれど、とても変なんだけど、でも面白い。恐らく当事者たちもルディの言葉遊びや映画をそんなノリで、「変だけど面白い」と受け取っていたのではないかなとも思うのだがどうだろう。

この映画は最後の最後に、ひとつのメッセージを提示する。「なりたい自分になれ」というものだ。このメッセージが単なるクリシェ/決り文句に堕さずに活き活きと伝わってくるのはそれこそ「なりたい自分にな」らんとハチャメチャな人生を満喫したルディのその生き様故であり、かつそれを実に豪快に演じたエディ・マーフィと愛すべき脇役たちの努力あってのことなのだろうと思う。失礼だが、どう考えても策士とはほど遠い天然なのかなんなのかわからないルディの独擅場を見せつけられると、意外とこういう「素」のキャラにこそ勝利の女神は微笑むのかなと(特に脈絡もなく新庄剛志の活躍ぶりを連想しつつ)思ってしまった。