跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/20

英語でチャットをしていると言うと、「天才ですね」と言われた。天才……こういう話題になると、私は真心ブラザーズというグループの「空にまいあがれ」という曲の歌詞を連想する。「大したことなどないのさ/やりやすいことから少しずつ/大した人などいないのさ/僕はここにいるよ」。相手がどんなに地位の高い人だって、どんなに凄い業績を成し遂げている人だって、所詮は人間だという視点は忘れないで居たいと思う。私自身他人にひれ伏すことだってある。他人を見て「負けてるな」「こりゃかなわないな」と思うことだってある。でも、人は誰も所詮過ちも犯す不完全な人間で、だからこそ愛おしいのだ、と思うようにしている。

仕事に入ると、頭であれこれ考えなくても自然に指が動き、身体が動く。記憶していたものを思い出す、という大それた作業をしなくても自然と身体が動くのだ。だから、記憶とは脳の中だけに蓄積されるものではなく身体全体に蓄積されるものではないかと考えてしまう……と、インチキを書いてしまう。今日、池谷裕二という人の『単純な脳、複雑な「私」』『脳はなにげに不公平』という本を図書館で借りて読み始めた。その影響かもしれない。全然知らなかった著者なのだけれど、なかなか侮れないことを書いていると思った。

心の奥底において、私はなにかをを知りたいという好奇心を抱えている。多分それは人よりも強いものなのだろう。もし私が天才と呼ばれうるなにかを備えているというのであれば、それはこの好奇心なのではないかと思う。だからこそ本を1000冊も読み、音楽を聴き映画を観て仕事をするのだ。だが、それは決して幸せなことばかりではない。この好奇心のせいで痛い目に遭うこともあった。本を買いすぎて金がなくなるとか、酒を呑みすぎて死にかけるとか……今もそんな自分の中の怪物と付き合えているかというと自信がなかったりする。

ああ、学生時代……小中高といじめに遭いすぎたので、私は友だちなんて作らなくても生きていけるし、友だちが必要な人間は人とつるみたがるヘナチョコだと思ってひとりで生きようと読書に勤しんだ。そして、それを寂しいと思う感情を殺そうとした。感情なんて邪魔だった。読書に感情なんていらない。機械になりたい……そう思った。今は、この不安定でいつもバグばかり起こすポンコツな感情が愛おしいと思う。強くなることなんてできないだろう。この弱さを抱えつつ、それでも生きていく。「聖者になんてなれないよ/だけど生きてるほうがいい」とブルーハーツが歌っているのを思い出した。