跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/11

フィル・コリンズを聴きながら川本三郎『映画の中にある如く』を読んでいる。また映画を観たくなってきた。川本三郎の落ち着いた筆致に触れて、自分自身が癒されるのを感じる。いつも書いていることだけれど、私の最近の好みは本当にトレンドから遠ざかったものになってしまった。聴く音楽にしたってジャズを聴いたり80年代のジェネシスを聴いたりだし、読む本にしたって川本三郎の他には芝山幹郎十河進、そしてちょっと前のポール・オースターの小説だ。トレンドから遠のいて若隠居するにはまだ早すぎるかなと思うのだけれど、では今「旬」なのは何なんだろうと思う。

小津安二郎の映画をまた観直したいとか、成瀬巳喜男の未見の作品を観てみたいとか、私の中の好奇心がそうして私を駆り立てるのを感じる。読書で言えば駒沢敏器の書いたものを読んでみたいと思うし、図書館で借りた川本三郎を読みたいとも思う。ヘミングウェイの短編はどうだろう。好奇心がそうして私を駆り立て、様々なことを考えさせる。そうして「考えている」時、私は生きている喜びを感じる。いや、私ごときが何を考えようが無意味だ、という考え方もできる。だが、考える喜びそれ自体を否定することはできない。アイデアが後から湧き出てくる、その瞬間に自分は生きていてよかったと思う。

この日記はいろんな方に読まれている、ということを実感する出来事が最近あった。実を言うと「全然読まれていないんじゃないか」と疑心暗鬼になっていた矢先のことだったので、反省させられた。すでに信頼できる人に届いている。私はややもすると承認欲求に駆られてしまいがちなので、あくまで自分のスタイルというか美学を守って日々焦らずに書き進めていこうと思った。眼前に存在する大事な読者を満足させられないようではいけない。腐らず、平穏なテンションで。時にはピチカート・ファイヴを聴いたりしながら。

職場で改装があるとのことで、手伝いに従事した。おかげで慣れない仕事に神経をすり減らしてしまって、とてもくたびれた。断酒会では「断酒していると、仕事の疲れが心地よくなる」と言われるのだが、今日はそんな余裕はない。『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』も観られずに終わってしまった。まあしょうがない。ああ、かつては「こんな仕事をするために生まれてきたわけじゃない」とまで思い詰めたものだが、今は何だかんだでこの仕事が身体に馴染んでいるなと思い始めるようになった。右も左も分からないままに20年以上。それが人生というものなのかもしれない。