跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/10

思い出す。今から遡ること5年前だっただろうか。町内で、発達障害について考える集いがあると聞いて、当事者としてなにか話せることがあるのではないかと、それくらいの本当に軽い気持ちで赴いて、そして……発達障害を考えるミーティングが立ち上がったのだ。ああ、あの出会いは偶然だったか必然だったか……それまでロクなことがなかった。あの出会いから全てが始まったのだ。運命はこんな展開を用意してくれた。生きていてよかった、と思った。あの出会いがなければ、私はとっくの昔に酒でくたばっていたのではないかと思う。

誰にも心を開けず、誰にも自分の考えていることを伝えきれず……いじめやパワハラにも遭って大変な時代を生きてきた。ずっと、どんな時も本を読んで……発達障害を調べる検査を行った時、心理士の方が「あなたは負けず嫌いですね」と言った。そうだ、自分の趣味や知識をバカにされると悔しくなって、相手を見返すために必死に勉強したのだった。学生時代からずっと、みんなを見返してやろうと思って……それが幸せなことだった、とは言わない。今になってみると、そういう風に人を見下そうとする行為自体がアホらしく感じられる。どうせなら人と多くを「シェア」できる人間でありたい、と。

人生に意味はあるか、生きることに意味はあるか……そんなことをずっと考えていたことがある。いじめられっ子だったから。「それでも」生きていくことがなぜかわからないで……そんなこと考えなくても生きていける。ただ、自分が幸せと思うことをすればいい。恋して、笑って、食べて歩いて。考えずにそうした行動を起こせば、それが幸せをもたらしてくれる。その気持ちこそが生きる醍醐味……そういうものじゃないだろうか。今宇多田ヒカルを聴いているのだけれど、この洗練された音と儚げな歌声に心が少しかき乱されて、そして癒やされていく。それだけで充分ではないだろうか。その幸せを感じられる今があることを感謝することで……そこにどんな意味が必要と言うのだろう。

F・ゲイリー・グレイ『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観た。黒人の立場からヒップホップ/ラップに乗せて警察に、そして社会に怒りをぶつけた人々のドラマを描いていて、パワフルだと思った。彼らの怒りの生々しさを全て肯定するわけではないが、しかし舐めてかかってはいけないものだとも思う。私は自分の立場からなにができるだろうか。発達障害者として、日本の一国民・一市民として。私自身、様々な理不尽に出会い憤りや不満を感じることがある。その時、腹を括って主張することを恐れてはならないと思った。