単純な生活

Life goes on brah!

2024/10/24 BGM: EL-MALO - DRIVE

今日は休日だった。午前中、いつものごとく市立図書館に行きそこで本をみつくろって何冊か借りる(お目当ては村上春樹の大作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』、アニエス・ポワリエ『パリ左岸』や沢木耕太郎ミッドナイト・エクスプレス』だった。いつ読むのかはまったくもって考えていない)。その後、ヒマを持て余してしまいイオンに行ってくつろぐ。Twitterで現在も進行している議論の1つである「リアリティとフィクションの間にどう線引をして、『嘘を嘘と見抜いて』そのうえで『嘘を楽しむ』か」に参加してひとくさり自分のことを書きなぐる(このことについては昨日も書いてしまった)。

このことについて考える際、ついついぼくが連想してしまうのは春樹のデビュー作『風の歌を聴け』において登場するアメリカ文学の伝説的カルト作家であり、主人公が物語を書く/語るにあたって多大に影響を受けたと告白するデレク・ハートフィールドのことだ。実を言えば、このデレク・ハートフィールドという作家とは春樹が作り出した架空の作家と聞いている(なにを隠そう、ぼくも彼のことを調べて図書館やネットを漁った過去を持つのだった)。仮に、春樹が(いや、誰だっていいのだが)こうしたフェイク(この場合「偽史」)を作品を面白くするための方便として捏造・創造することをいま試みるなら、一部の生真面目な読者は「これは『嘘八百』の『デマゴーグ』だ」と訴えるかもしれない。いや、まったくもってこれこそ「架空」の人間を持ち出す悪しき論法なのだが。もっと考えてみたい。

その後、昼食を摂ってひと眠りした後に図書館で借りた1冊であるぼくの好きな書き手の三木那由他の新刊『言葉の道具箱』を読み進める。そして、収められたエッセイの1つとして俗に言うトランスジェンダーの彼女がどのようにして生きづらさを感じる人に対して「生き延びましょう」と声がけをするかについて記されているのを知る。このことについて、なぜそもそも自分があれこれ(途中酒に溺れてエラいことになってもなお)生きてきたのかその理由を自分なりに真面目に考えてしまった。持論を述べるなら、ぼくはいま生きているのだけれどそれはなにも「ハートフルな、思いやり・まごころのこもったコメント」だけがぼくを生かしうるわけではないのだった。そうしたコメントに加えて、そのコメントが醸成・熟成される場(いまの言葉で言えば「居場所」)としてぼくにとって自助グループや断酒会、英会話教室などが機能しているからであって、そんな「場」「コミュニティ」の潜在能力と友だちの存在・彼ら彼女たちとの友情の絆にもずいぶん助けられている。では、そもそもそんな縁(チェイン)をどうつないでいけばいいのか。三木那由他のエッセイはそうした深い・リアルな難題を考えさせてくれる。実にありがたいものだと受け取った。

おやつ時になり、そんな感じで独りで過ごすのもなんだか食傷気味になってきたので前にこの日記でも書いたぼく自身の絵のことでお礼を申し上げるべく、その絵を描くことを薦めてくださったブックカフェのオーナーのところにうかがった。そこで、コーヒーをいただきつつその方とぼくが描いた絵のことや通おうと思っている英会話教室のこと、村上春樹のことなどを話す。その後、閉店時間になりそのカフェの店先で売られていた古本を2冊買わせてもらった。大津栄一郎『20世紀アメリカ短篇選』上下巻である(好きというわけではないが、前々から興味を惹かれていたドナルド・バーセルミの短編が収録されていることが決め手となった)。

夜になり、毎週木曜日恒例の友だちとのZoomミーティングに参加する。こんかいの発表はなぜ・どのように日本人の英語の発音がいびつに・ぎこちなく聞こえるかというものだった。そこからどのようにして「正しい」、あるいはそれ以上に「なめらかな」「別様の」発音に近づけていくかが語られる。ぼくも自分の発音が「正しい」「正統な」ものでございなんてことはそれこそ口が裂けても言えないので、強く興味を惹かれてこの発表を聞かせてもらった。そして、こうして「正しい」発音を学ぶ努力を惜しまないこと・意識し続けることは(過剰な「ネイティブ崇拝」は有害かなとも思うので匙加減がむずかしいにせよ)内向的なぼくたちのシャイネス・恥ずかしがりを克服して成長させる一助になりうるとも真剣に思った。カラオケなどで自分の新しい持ち歌を披露するべく努力することと似ているかもしれないとも……。