跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/01/20 BGM: Supercar - YUMEGIWA LAST BOY

The 虎舞竜の曲ではないけれど、今日のランチタイムの考えごとの際に「いまいったい自分の人生が第何章目なんだろう?」とふと考えてしまった。自分の人生が小説だとするなら……あるいは、いまはいったい人生においてどんな季節なんだろうかと(つまり、いまこそ「人生の春」なのかそれとももう「晩春」なのかといったことだ)。ぼくの敬愛する作家の1人であるポール・オースターは彼のメモワール(回想録)の題名として『冬の日誌』と名付けている。彼はもう老いた、60代を迎えた彼の人生をそのように整理しようと試みる。ならば、ぼくはさしづめ「晩秋」を生きているのかなとも思う(小津安二郎の映画みたいだけど)。でも、ヘンな話だけど実を言うといまこの瞬間、自分は「最初の青春」を生きているような気がする。年相応に生きるとすれば「第二の青春」なのだけれど、でもぼくには「青春」なんてなかったのだった……。

そう、こんなふうに考える……「最近になって」「ようやく」ぼくはやっと自分の人生を始められたような、そんな気さえするのだった。もちろん、順当に・常識で考えればぼくは後期の人生のステージ(つまり「後半戦」)にある。身体だって年老いる。シワも増えるし体力も落ちるし油ものも食べられなくなる……などなど。だからあまり「まだまだ若い」「永久に若く」なんて考えるべきではないのかもしれない。思い出すのはどんなことがらにだって陰陽(ポジティブとネガティブ)があるのであって、その両者の間でバランスを取って生きる必要があるのだろうなと思う。それがいちばん難しいのだけれど。

でも、たぶんスーパーカーの曲を聞きながらこんなことを書いているからなのかもしれないけれど、こんな「グレイト」なことを考える。ぼくは過去、この地上における地獄にいたのを思い出す。その意味ではいまは「シャバに出てきた」ような気分で生きている。見るものが新鮮でかぐわしいというか……人は青春を美しい時期として称揚する。でも、それは信じられない。こう書いていて、「ヘンな人間だなあ」と自分のことを考える。

ポール・オースターのことを書いたのだけれど、ぼくのヒーローのことをもっと思い出す。村上春樹を筆頭に宮台真司デーモン・アルバーンなどなど。いま、もう若くない人間として考えるのはいったい何を遺産として若い世代に残せるのかといったことで、そう考えていくとぼくがこれまでやみくもに・がむしゃらに生きたことは宝として残せるものなのかなとも思う。

明日、あるミーティングに参加してそこで三木那由他の本について他のメンバーに語ろうと考えている。こんなことを思い出し想像する。もし、ぼくたちがそもそも出会っていなかったら。このミーティングが始まる場に立ち会えていなかったら。そうだとしたら、ぼくはこんな哲学書を読んだり英語で書いたりといったこともなかったはずで、つまりはまったくもって別の・異次元の人生を歩んでいたということになる。それはもう「パラレルワールドの自分はどうだったか」といった話にもなってくるので考えがぜんぜん及ばない。ああ、「人生は小説よりも奇なり」だ。そんなことを自伝として書きたいのだが、それこそ体力も気力も衰えているという事情に情けなく負けているのが現実なのだった。それも人生である。