跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/02 BGM: The Beatles - A Day In The Life

実を言うと今月15日、あるミーティングでプレゼンテーションをすることになった。なのでその席で何を話すべきか考えなければならない。ぼくの日々の生活についてシンプルに・素朴に話すのはどうだろうと考えた。発表のタイトルは「Eight Days A Week」。あのビートルズの名曲を流用・引用することにした。何について書いたらいいだろう。ぼくの日々のルーティン(日常の習慣)について話したらいいのではないだろうか、などなど。

今日は遅番だった。朝、イオンに行きルーティンに沿って考えごとをしたり本を読んだりしようと試みる。でも、そうできなかった(たぶん仕事やその他のプレッシャーゆえのことだろう)。だから自分にまつわる、身の回りの事実について思いをめぐらせてそれをメモパッドに書きつけていく。ちょうどサルトル『嘔吐』の主人公のように。いったい何をしただろう? たとえば、今朝は図書館に行きそこで本を何冊か借りた。その後、イオンに来て――ロッド・スチュワートの甘美な曲を聴きつつこれを書いている、などなど。

11時になり、ぼくはとうとう時間をこんなふうにしてばかりいてつぶすのも飽きた。借りてきた本の中の1冊である燃え殻の『断片的回顧録』を読み始める。突然、アイデアを思いつく。「いったい他の人の頭の中にはどんなアイデアが湧いているのだろう?」。たとえば、クリーニング店にいるある方(ここから見ると、たしかにそこのカウンターに座っているのが見える)。彼女は目の前を通り過ぎる人たちを見ながらあれこれ考えごとをしているように見える。ぼくが彼女なら、きっとじっとしてはいられず何か読み始めてしまうだろう。

こんなことを思い出す。ある時、いろんな人に仕事を変えて新生活を始めるようにと薦められた。公務員、塾あるいは予備校の講師(でもいったい何を教えたらいいんだろう? 英語?)、古本屋の店主。でもどういうわけか、いまはデパートの従業員の座にもぐりこんだ。この仕事が天職だと思ったことは皆無だ(職場ではずっと「役立たず」だったと思う)。でも、古いことわざが言うように「犬は吠えるがキャラバンは進む」のだ。

ところで、どうしてぼくは引きこもる道を選ばなかったのだろう。どうして働き続けてしまったのか。わからない。引きこもりの人生がぜったいいけないなんて言わない。でも、ならなぜこう生きているのか。いや、人生とはほんとうに謎だらけだ。