時は流れ、40になりその歳「こんなんじゃダメだ」とようやくおしりに火がついて、断酒に踏み切る決意を固めた。と同時に、町内のとある古民家カフェでジョブコーチとお会いする僥倖を得る。そのコーチから、英語を学び直すことを薦められて町内にあった国際交流協会を紹介してもらいさえしたのだった。その国際交流協会を通して、英会話を学び始め英語をやり直すこととなる。そんな英語学習の試みがもしかしたら、このぼくの中にいま感じられるクリアな・たしかな自尊感情となって結びついたのかもしれない。
英語をそうやって学び直す・やり直す過程で、自分自身の輪郭を掴むことができるようになり限界をも学び直すことともなった。その意味では英語は自分磨き・自己研鑽の一環として作用したのだろう。つたない英語で(いや、文字どおり最初は「ハロー」「ハウアーユー」さえも言えなかった)あれこれやり取りするうちに自分がいったい何者で、どんなことに関心を持ってきたのかつかめるようにもなった。少しずつ・たしかに、この文を打つ自分自身をそんな英語学習で築き上げられたとぼくは自負する(この、あまりにもいまとなっては自信満々・夜郎自大な文だ!)。ぼくとしては、自信・自尊感情を見つけられない人たちの欲求不満や憤懣もわかるつもりでいる。さしあたってこんなことを提案したい。好きなこと・関心あることを戦略なんて考えず、心が赴くまま・ささやくままに思う存分やってみてはどうだろう。とにかく、レッツトライの精神で。
少なくともぼくの場合は、つたない(いや、文字どおりの意味でドヘタな)英語が伝わって誰かにぼくが心中で抱えていることがらの意味を伝えられたとわかった時にたしかによろこびを感じ、それが村上春樹が言うところの「小確幸(小さくてもたしかな幸せ)」となって作用してくれているとさえ感じる。サクセスフルな瞬間として。いや、これは(誤解される方がおられたら困るので書くが)なにも英語をやりなさいという話ではない。これはぼくの場合、たまたま英語がハマったというそれだけの話だ。この長々書きつづってきた話の結論は、好きなことをやってみてこまかい成功体験を積めばその見返りとして自信・自尊感情を得られるかもしれないということに尽きる。なにもしないよりは、きっと近づけるはずだ。
今日の午後、グループホームの本家に赴く。そこでジョブコーチ関連のミーティングを行い、仕事のことで市外からはるばる来られた方々とやり取りをする。その後、前にぼくが描いた「莫妄想(まくもうぞう)」という絵のことを話し合う。来られた方々、およびグループホームの管理者の方々が強い関心を示してくださって、実にありがたく思う。Discordでも友だちに絵を褒めてもらって、深く解釈されたその解釈を元に質問まで頂戴した。ああ、実にアンビリバボーな、とてもうれしい贈り物としてこの経験を受け取りたい。ありがとうございます。

