さいきん買い求めて読んでいる本に西山数紀『45歳 仕事をやめてコロンビア大で見つけた 英語の新しい勉強法』という本があるのだけれど、その本を通してジョン・スタインベックの言葉を学んだ。「Genius is a little boy chasing a butterfly up a mountain」。ぼくなりに訳すと「天才であることとはつまり、子どもが蝶々を追いかけて山にまで登ってしまうということだ」となる(やや誇張した訳にしてみた)。どういうことかというと、純粋な好奇心やワクワクする気持ちからはじめられたことが周囲からすると偉業とも言えることがらを達成させる、そんな構図のことを意味しているのだと思う。
もしかしたら過去に書いたことと自己矛盾を起こしているかもしれないけれど、ぼくはすくなくとも自分自身のことにかんしてはなんらかの才能があるとか、あるいは人より頭がいいとかそんなことを考えないようにしている。正確に言えばぼくも人の子なので「オレってセンスいいなあ」とか「いい線行っている」とか考えることはあるけれど、話を言語学習にしぼれば日々衰えゆく脳のポンコツぶりと戦っているというのが現実で、ましてや語学の才能があるなんてとんでもない。今日だって「静電気」を英語で言えなくて「extra electricity caused by friction」とか珍妙な英語ができあがってしまった(ちなみに「static electricity」だそうだ)。
ただ、ぼくのばあいなにはともあれ日々英語という蝶々を追いかけていることはたしかで、それで山に登っているかどうかは別としても小高い丘ぐらいは登れているのではないかと愚考する。もちろんごくドライに言えばぼくの英語力なんてまだまだで、高校時代に英検2級を獲ったと言っても当時はスピーキングテストなんてなかったはずだから(と思う。あったら受からなかったはずだ)、あれよあれよ50代に入ってしまってけっきょくいままでスピーキングテストを受ける機会もなく年を食ってしまった。ただそれでも「好きだからやる」「でも、やるんだよ」というささやかな闘志・闘魂は燃やせているのではないかなあと思っているのだった。
グループホームの管理者・副管理者の方々に枕を買い替えてもらって、昨日はその枕で眠った。今朝、すっきり目が覚めて6時半をむかえる。それから7時になり(7時までのあいだはDiscordで英語でチャット)、その後はいつも通りのコースでまずはシャワールームで熱めのお湯でシャワーを浴びる。そして昨日着ていた服と下着と靴下を洗濯機で洗濯し、それから7時50分の英会話のZOOMミーティングに参加する。今日の話題はぬいぐるみをめぐるいわゆる「ぬい活」についてで、ぼくはぬいぐるみを抱きしめていた記憶なんてなかったのだけどともあれ参加してあれこれ歓談に興じる。ところで、ぬいぐるみのことは英語で「plushie」と言うのだとか。
それが終わると8時半になっており、それから朝食を摂ってそして着替えて部屋を出る。今日は早番勤務なのでまずはイオンに行き、そこで無糖のブラックコーヒーを買い求めて飲む。その後10時から仕事に入る。今日は仕事中にこっそり書きつける英語メモがはかどらなかった。たぶんこれは昨日の停電やその他いろんなことが起こり過ぎてそれで単純に疲れていたからだと思う。書けないものはしょうがないので、ともあれペンを動かしていま思っていることをあれこれ箇条書きやあるいは断片として書き留めるにとどめた。
頭の中にあったのは、さっきすこし書いた西山数紀『45歳 仕事をやめてコロンビア大で見つけた 英語の新しい勉強法』についてだ。ぼくは今年51歳になるのだけれど、西山さんが新天地で果敢に自分自身の限界に挑んでおられる姿に感銘を受けたことから「自分もなにかするべきなのか」「自分はこれからどうしたいのか」と柄にもなく考えてしまったのだ。それは言い方を変えれば「このままでいいんだろうか」と考えてしまったということである。たとえば英語において、「留学」やあるいは「試験を受ける」などの活動を視野に入れていくようにしたらいいのかな……と出来もしないことを考えはじめて、それが止まらなかったと言えばいいのか。
そういうことを考えたということはとどのつまり、ぼく自身も自分自身の限界に挑みたくなったということでもある。そう考えていくとぼくはそもそも自分の限界に挑んだことがあったのかという話になり、なんだかこれまで(すくなくとも「近頃は」)ぼくはただ日々を波風立てず漫然と暮らしてきたような、そんな気もしてきた。いや、それはそれで1つの生き方だろう。ただ、それで満足行くならばという話になる。ぼくはこの生き方で満足できているだろうか、と思い悩みはじめてしまって、それで昼休憩の時間を1時にもらって休憩室でたらこスパゲッティを食べてからも悩みが止まらなかったのだった。
もちろん、だからといって一気にぼくもアメリカへ……というのが無謀きわまりないことはわかっている。それで、「これからも当分は英会話教室や英語研究会の会合に出たり、あるいは英会話のZOOMミーティングを続けたりするんだろうな」というところに落ち着いた。それで地道にインプルーブメント(上達)を目指していけばいいのかなと……西山さんはアメリカで学びたいことがあったからコロンビア大学に行ったのだけど、ぼくは学びたいことがあるわけではないので自分なりの生活をもっと盤石なものにすべくここでふんばるのも1つの生き方なのかなあ、と考えたのだった。
前にXでアメリカがやけに理想化されたポストを読んだことがあって、彼の地で発達障害者として生まれたら生活が手厚くサポートされるという骨子のものだったと記憶する(それが日本とは大違い、というのも付け加わる)。だが、アメリカにはアメリカの事情があるはずで、ぼくの生き方としては日本の環境に不満を抱くなら自分自身が変わるか状況を地道に変えるべく動かすかというところに落ち着く。その意味で、ぼくが英語を学び続けているのは自分自身をすこしずつ変えていくべく試みを続けているという意味なのかもしれない、と思った。そう、すこしずつでいいんだろうと思う。というか、ぼくはそういう地味な生き方・暮らし方しかできない。
5時に仕事が終わり、その足で図書館に行ってジュンパ・ラヒリの本を借りる。そのうちの1冊『べつの言葉で』を、夕食を食べ終えてから読みふけった。ラヒリはアメリカの作家だが、英語で書くという安定した選択肢を捨てて自身が惹かれるイタリア語で書くことをこころみる。書きやすさ・語りやすさに安住することをよしとしない彼女の静かな闘志に、おなじく言葉を学び続けあまつさえ書くことにそれなりの情熱を燃やす人間として共感を抱く。その後、イエロー・マジック・オーケストラの『BGM』を聴きながらこの日記を書いた。
