跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/08/09 BGM: Akiko Yano - TONG POO

今日は遅番だった。今朝、例に漏れずZoomでの英会話関係のミーティングに参加してそこでさまざまな参加者の方々と英語であれこれ語らう。今日は昨日起こったという地震の話題をおのおのが切り出すところから始まった(メンバーの1人が宮崎から参加されていて、ぼくもその方のことが心配だった。でもその方は心配には及ばず無事だから安心してほしいとおっしゃった)。そのミーティングが終わり朝食を摂ったあと、画家の友だちの方がぼくの絵を書くために用意して下さり、はるばる昨日届けて下さったカンバスに向き合う。だが、なにか書こうと思っても緊張していたずらに時間が経つばかりでうまくいかず、結局線一本描くこともできなかったのだった。あきらめて別の時間にやってみることにした。

有り体に言えば勇気。それがぼくが必要としているものということなんだろうと思う。誰の言葉だっただろうか忘れたけれど(浅田彰が『構造と力』で言っていたのだったか)、カンバスを破壊しかねないほどの勇気がないと絵は描けないとかなんとか言っていたと記憶する。それはまさにそのとおりだなと、その言葉を吐いた人の慧眼に舌を巻きつつアパートを出た。もっと原始的で粗野な、本能的な情熱を以てカンバスを破壊しないと……なんにせよ、今日はなにもできなかった。いやはや、これが絵の進捗状況なのだから情けない。

絵をあきらめてそうしてアパートを出て、イオンに行きいつも通りの時間の過ごし方をする。本を片手にあれこれ考える、というやつだ。今日は片岡義男『言葉を生きる』を少しばかり読んだのだけど、読みつつも頭の中から絵のことが離れずあれこれ考えてしまう(そのことに関して、「doodling」という言葉をある人が教えてくれた。いたずら書き、となろうか。たしかにそんないたずら書きの産物というか、なぐり書きの果てみたいなものになるかなと思う)。ぼくは漫画やアニメが示すアニメ絵・萌え絵のようなものは逆立ちしたって描けない。でも、先の自分との戦いにボロ負けした話をその友だちの画家の方にしたところ、焦る必要はなく何度も描き直せばいいんだとおっしゃった。締め切りまでにはまだ間があるんだから。

理由はまったくもって自分でもわからないのだけれど、FacebookのMessengerでその話をした後に絵にせめてタイトルだけでもつけられないかと考えてしまった。アホなことをした……タイトルが決まれば絵の方向が見えてくると思ったからかもしれないが、なんにせよ冷静に考えればまだ青く塗ったカンバスが1つあるきりなのだった。このことを友だちにテキストメッセージで送ったりする。Spotifyで音楽を聴いていたのだけれど、ふといいタイミングでYMOの「東風」を流し始めたのでじゃ絵の仮題は「東風」にするかとあれこれ考えた。この曲は英について深く考えさせてくれたので、あながち悪い案でもないようにも思った。まあ、でも描かないとどうしようもないのだけれど。

別の友だちから、ぼく自身が冷静であることを指摘されたメッセージをいただいた。そして、その冷静さに助けられたとも。もちろんこの上ない幸せだが、もうここまで読まれたらおわかりのとおり、実態はこんな感じなのである。本当のぼくときたらいつだってこんな感じで混乱して、頭の中はいろんなアイデアでしっちゃかめっちゃかなのだった。