とはいえ、いまの段階のぼくのおぼつかない理解を語るならそうした理想とは他者に対するしなやかさとしたたかさを備えた「寛容」が基礎となるのではないか。話が通じない・敵対する他者とどう折り合いをつけ、共存していくか……でも少なくとも、恥を忍んで語るなら若かったころのアンポンタンなぼくがそこまで二枚腰のしなやかな・したたかな寛容をわかっていたとはとうてい言えない。むしろ排他的であり頑固でもあり、他者のぼく自身の意見に対する異論・批判を受け容れるどころか頑として弾き返そうと務めることに終始して、つまり「異論は認めない」「オレは正しいのだ」とうそぶいていたように思う。正直に(恥を込めて)書く。当時、ぼくはこの島国が時代遅れでなんらイケていない「愚者の楽園」だと思いこんでいた。なにを勘違いしていたのか……なんにせよ当時のぼくはそんな体たらくで、日本的なエッセンス(要素)を嫌い、ナショナリティ(国家)そのものを嫌いどこかで聞きかじった「想像の共同体」といった概念を振り回して悦に入っていた。いや、さっきも書いたが恥を込めて書く。実に、この不肖の身の不明を恥じる。
でも、その後いろいろあって40を超えて「昔取った杵柄」でふたたび英語を学び始めて……こんなことに気づき始めた。英語をぼくなりに虚心坦懐に(そして楽しみつつ)学ぶと、この国の見知らぬ風景・新鮮な事実が見えてきて実に学びになる。他人との議論や単なる毛づくろい的な雑談を通して、これまでも多くを学ばされてそうした頑固な思い込みはいつしか(自覚しないうちに)消えたかなと思う。ああ、人生はえてしてこうした矛盾をはらんだ真理を提示する。いまはこの国への自尊心・プライドが芽生えている。この国は誇らしい。だが、それはたぶん(「たぶん」だけど)他者への排他的な態度にただちにつながるとは思わない。自信と他者への寛容は共存すると信じる(が、これについて考えるなら日本のみならず他国でも起きている移民問題についても学び、自分なりの責任を持った思考をめぐらせる必要があるはずだ。まだそこまでぼくは考えが及んでいない)。
午後になり、この町のとあるブックカフェに赴く。当初はそこでアイスコーヒーを飲みつつ雑談に興じ、そしてぼくが抱えている問題について話せればと思っていたのだった。この歳まではなばなしいロマンス(恋愛)と無縁であることもあるし、他にも内心では問題を抱えていて打ち明ける機会が必要と思って……でも、予期していなかったことだがオーナーで画家でもある方から大きなカンバスにこのぼく自身のオリジナルの絵を書いてみないかと誘われた。日記でも書いてきたが、絵画に関してぼくはまったくもってトーシロである。知識もないし、技術など文字どおり皆無でしかない。だけど、カンバスは提供するので英語で文字をグラフィティのように書いてみたらどうかという話になった。このワンダフルなお誘いについてあれこれ話す。その後、グループホームに戻り安部公房『箱男』を読み始めた。そして1日が終わった。