跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/05/30 BGM: Rhymester - フラッシュバック、夏。

いつものこと、つまらないことではあるのだけれど……今朝、また仕事に関してプレッシャーが半端なかったので仕事前にテクノ(とりわけディスコ)を聴く。電気グルーヴ「Flashback Disco」や、あとは……思い出せない。聴いていると、その無機的で反復的なリズムに無理やり身体が動くのを感じた。なんだか催眠術にかかったような感じになって、だからなんとか仕事をこなせたのだった。

そんなこんなできょうのランチタイムにぼくは本に関するエッセイを書いてDiscordなどでシェアすることを思い立った。ブックレビュー(書評)ではなく、あくまで本に関するよもやま話だ。理由はわからないけれど、たぶん坂本龍一が書き記している本の虫的なエッセイに「アテられた」のだろう。こんなことを書きたい、なんて。もうぼくも近々49で、いったい自分はこのスットコドッコイな人生から得たものをどう貴重な友だちにシェアして残せるかを考えるようにもなった……いやもちろん、ぼくはぜんぜん真面目で敬虔な読者ではありえないのだけれど(それどころか、読んだこともないのに寺山修司「書を捨てよ、街へ出よう」を気取っていた時期すらあったのに)。でも、いったいなんだってこんなことを考えるようになったのか。

午後に実は、この考えをLINEで友だちに伝えた。ある読者が、ぼくが読書メーターで記録している(実態は単にテキトーに書きなぐっているにすぎない)寸評を読んでくださっていると教えてくれた。ああ……もちろん実にありがたい、身に余る光栄と言えることだ。そのコメントを読み、あらためてぼくはなでこんなふうに「おしゃべりに」「アクティブに」書きまくっているのか考えてしまったのだった。いや、最近になってぼくはどうこの発達障害のファニーで奇妙な人生を落ち着いて、静かに生きられるかコツをつかめてきたような気もするのだけれど……。

日記にも書いてきたけれど、過去、ぼくの周りにいた人たち(とりわけ「愚鈍な」クラスメイトや教師)が日々の会話でぼくをからかってばかり・バカにしてばかりだった。だから、そんな感じで笑われて嫌われてばかりの日々ですっかり誰を信じていいかまったくもってわからないまま、猜疑心に取り憑かれて日々を過ごすしかなかった。いまだってどこかでそんな猜疑心を、友だちに対してさえ抱いてしまう。人は嘘をつく。でも、本は嘘つかない……いや、もちろんこんな考え方を本気で信じるならこうも問わないといけないのだ。「じゃ、どうして人は嘘をついたらいけないっていうんだ?」

夜になり、Zoomのミーティングに出席してそこで友だちと銀河の光景を眺めるイベントに興じた。ぼくがつねづねお世話になっているある英語教師の方がThreadsで、現代人が1日に受け取る情報量は平安時代の人の一生分に該当するんだとかなんとか、そんな話を聞かせて下さった。実に膨大な・莫大な情報量だ。いや、これが正しいのかどうかぼくには判断できない(平安時代のことなんて、現代語訳された文献を読む以外ではなにも知らないし知りようもないのだから)。でも、さもありなんとも思う。だからこのイベントは貴重だった。ぼくのこのちっぽけな脳みそによる認知を超えた、たしかに巨大で人知の及ばない世界がこの外側にたしかに広がっていると感じられた。