跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/05/29 BGM: Ryuichi Sakamoto - Behind The Mask

きょうは遅番だった。今朝、図書館に行きそこで坂本龍一『坂本図書』と『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を借りる。前者は坂本龍一が折に触れて楽しんできた本についてつづられたもので、ぼくもこうしたぼくなりの愛読書についてなにか書けたらなと思い始めたので読み直すことにしたのだった。いったいどんな本たちがぼくにとって大事な本として意識の表面に浮かび上がってくるのだろう。フェネスと坂本龍一のコラボ作品を聴きつつ、そんなアイデアについて考えてしまった。

若かった頃、ぼくは坂本の音楽をこれっぽっちも理解できずむしろ嫌ってさえいた。単純に、ぼくは粗野な人間なので彼の音楽は洗練の極みのようにさえ感じられたのだった。だからカジュアルに楽しむには向いていないと。当時、一方ではぼくはそれこそ洗練されたシティポップを(当時の言葉で言えば「渋谷系」音楽を)聴いてセンスを磨くなんてことをしていたのに、どこかでぼくは自分がしょせんはしがない田舎者だと思いこんでその劣等感が残っており、彼を貶めたいとかこき下ろしたいとかいうゆがんだ心理を克服できなかった。しかしいま、虚心に彼の偉大な音楽をシンプルな気持ちで楽しむにつけ、たしかな尊敬・畏敬の念が沸き起こるのを感じる。

1990年代の頃、だからぼくが10代から20代だった頃のこと……インターネットはいまとは違いフリーなツールではなかった(もちろんパソコン通信はあったが、ぼくにはハードルが高かった)。だからこの島国における外国・異国は心理的にもっと遠く……坂本龍一はそんな中、国境を飛び越えて「世界を股にかけて」活躍していたポップスターだった。イエロー・マジック・オーケストラのキーパーソンとして、そしてもちろんソロになってからも。当時、ぼくはバカだったので坂本がそんな華麗なキャリアの裏側で為していた苦労・努力を読み取れなかった。ゆえに彼の仕事をフェアに受け取れず、分裂した評価を下すことになる。彼を完璧な存在としていたずらに崇拝し、あるいは彼を口を極めてこき下ろす。彼を1人の、苦悩や問題と率直に向き合った人間(もっと言えば先人・パイオニア)として扱えず、ゆえに正当に礼賛したり批評したりできなかった。白か黒か、という単純すぎる評価をしていたのだった。

いま、ぼくは彼を偉大なカリスマというかマエストロというか、神ではなかっただろうにせよすばらしい音楽を生み出した1人の異才として評価したい。これまでの人生でぼくはこんなことを体得したと信じる。「誰だって完璧ではない」ということだ。人はトラブルと向かい合い、個人の中に矛盾を持つことにもなる。弱さだって見せるしミスだってするだろう。でも、それが人間の証というか証明なんだろうなとも思う。言い方によっては愛すべき要素とさえ言えるのではないか、とも。