跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/11/23 BGM: Underworld - Stagger

今日はオフだった。ピート・ナムルックのアンビエント・ミュージックを聴きつつ、ぼくは偉大な保守思想の論客・西部邁の『ファシスタたらんとした者』を読み始めた。この著者はその頭脳の中にすさまじく鋭い慧眼とセンスを備えており、ゆえに周りの大人たちが愚かしく偽善的である(ように見えた)ことに耐えられないのだと気付かされる。ぼく自身の子どもの頃を振り返ってしまった。

ぼくは子どもの頃、当時はまだ発達障害がホットな概念ではなかったこともあって変で「アクの強い」子だと見なされていた。ゆえにつらい時期を生きなければならなかった。いま、ぼくは西部とぼくが「同種」「同病相憐れむ」なたぐいだとさえ感じてしまう。ぼくたちは「普通の人」「常識人」の集団の中の野蛮人であり「孤児」だったのではないか……もちろん違いはある。ぼくは極左のただのお花畑な人だったのであり西部は保守のイデオローグだったという違いだ。

ぼくの事例/人生と西部のそれを比べて、ぼくは思う。そんなヘンテコで寂しい人たち(まさに「エイリアン」「異端」な人たち)がほんとうに成熟した大人になるためにどうアイデンティティを見出さないといけないか。ぼくはさっきも言ったように極左だったが、もしカルトにハマっていたらどうなっていただろう?

日記にも書いてきたけれど、ぼくはいまだ・今なお低い自尊感情を持ち合わせているのだった。弱っちい依存的な心理だ。だからこそどでかい崇高なイデオロギーに惹かれる。それは夢想的かつ破壊的なカルトかもしれない。いま。ぼくは危険心理をぼくの中に見出す。アルコールに惹かれる(からこそ、8年間断酒し続けてきた)、ポルノにも惹かれる、買いすぎる、などなどだ。

ぼくは西部がなぜ自殺を選んだのかわからない(ぼくは自己決定で崇高な死を選ぶことは拒否する)。そして、ぼくたちは西部をモダンな思考で批判・論駁することは可能かもしれない。でも、ぼくは彼の意見を日本の「伝統」の源泉がもたらした偉大なものだと受け止める。彼の思索にもっと触れたく思う。少しずつ。