跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/30 BGM: Aphex Twin - On

今日、村上春樹の初期の代表作『羊をめぐる冒険』を読み返し始めた。そして思ったのだけれど、ぼくにとって春樹の作品はしっかりとこのぼく自身の血肉となって結実している。この考え方のシステムに至るまで。ぼくが16歳の時、彼の『1973年のピンボール』をはじめて読んだ。爾来、ほぼすべての彼の仕事を楽しんできたことになる(図書館で彼が記したレアな文を探して読んだりさえしたものだ)。なぜ彼の仕事はここまでぼくを惹きつけるのだろう。いや、彼はグレートな作家だが(ぼくにとっては充分すぎるほどグレートだ)。

ぼくが思うに、春樹が書いたものはぼくに「距離感」の感覚を教えてくれる。この世界とこのぼくの間の「距離」だ。ある意味では彼の書いた小説はあるパターンをひとつ覚えでなぞっているとも言える――主人公はこの世界を、人生を生きることに困難を感じている。だからこそ、奇妙な動物や生物あるいは異性に惹かれる(『羊をめぐる冒険』における羊男を想起しよう)。でも、主人公は2つの世界の「はざま」で逡巡する――一方にノーマルな地上世界、もう一方にパラレルを為す現実離れした世界がある。ある意味では、彼・彼女はそのボーダー(「はざま」)に立ち、しかし選択をしなければならなくなる。

春樹ワンダーランドに出入りするようになった頃、彼の完成度の高いストーリーテリングの技巧に唸らされた。その頃、ぼくは彼の仕事からこんなふうにロジカルな分析(のつもり)をほどこすことはできなかった(彼のすごいイマジネーションが生み出す広大な海に溺れていたとも言える)。いま、もちろん春樹よりもすごい作家なんて山ほどいるかなとも思うのだけれど(保坂和志堀江敏幸の仕事からそうした凄味を強く感じる)、ぼくは自分の人生にスパイスを与える彼の仕事をこれからも楽しんでいきたいとも思う。実に刺激的で挑発的で、ぼくの心をくすぐる。

春樹のロマンティックで毒のある世界にハマっていた頃、こんなふうに英語で文を書いたりするなんて想像もしていなかった。1990年代のことをノスタルジックな思いで振り返ってみる。ポール・オースターの小説を読んだり春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読んだり、ブリットポップオルタナティヴ・ロックイカれたりした。人生はそんなもので、ボブ・ディランが歌うように「時代は変わる」のかなとも思う。