跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/11 BGM: GREAT3 - サンチャイルドは僕の友達

今日は遅番だった。朝、山田詠美のエッセイ集『私のことだま漂流記』を読み始める。そして、すぐにこの本はさまざまな手がかりを与えてくれる本だと思った。とても興奮してきた。彼女はこの本の中で酷かった少女時代について書く(いじめに遭ったりしていたそうだ)。そして、その時代を通して本を読むことの楽しさに目覚めたのだ。彼女にとって、読むことは想像力に富んだ場所に行けることだった。一方――ぼくはどうだったのだろう。

ぼくはこれまでの人生、たくさんの本を読んできた。思い出す――ぼくは心に巨大な虚無を抱えていた。劣等感だったのだと思う。だから心の中のどこかで、ぼくはこんな偏見を持っていた。ぼくは他の人を圧倒するほどたくさんの本を読まないといけない、と。読んで、読んで、読む。ぼくはバカなのだから……ある意味で、たくさん読むことによって誰かをぶちのめしたかったのだった。機械のような青春時代を過ごしていた。とてもマジメな「ヘイト・マシーン」だ。

マシーン……そう、ぼくは機械のようになりたいとあこがれた。感情や情熱を感じないマシーン。欲望も懊悩もない。ただ、プログラムされたブツとして興味に没入するだけの存在。それがぼくがあこがれた境地だった。もちろん、いまはまったく違った価値観を持っている。別の方角に向かって歩いていきたいと思う。たくさんの人と、喜びを求めて多くをシェアし合いたい、と思っている。こうした変化はいろんな出来事から起きたものだ。

たぶんかつて(あるいはいまだに)ぼくは古い価値観の犠牲者なのだろうと思う。ぼくの身の回りの人は言った。「強くなれ、タフになれ」と。そしてぼくはそうした暴言を文字通り受け容れ、マシーンのように強くなろうとしたものだ。アルコールを呑むことで心の中の人間的な感情を殺そうとまでした。アルコールは実際に人間的な要素を殺してくれた。そして何も感じない存在へと。アルコールは心の中の火を灯すと信じていた。でも、いまはぼくはあれは金と時間のムダだったとさえ思う。

ぼくはどうしてこんなにたくさん本を読むのだろう。ぼくはタフネスを鍛えているのだろうか。