跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/07 BGM: David Holmes - Don't Die Just Yet

今日は休みだった。Facebookの早朝のミーティングには参加できなかった。本の蔵(近くにあるブックカフェ)に行く。そこでぼくは仕事のこと、あるいはぼくが童貞であることについて話をしたかったのだけれど、実際にはそのブッキッシュな空気を静かに楽しむことを選んでしまった(もしよろしければ、スタッフの方にこれらのことについていつか打ち明けられたらと思った)。そこでぼくは本棚からカミュカミュの手帖』を見つける。あとは阿部昭の『緑の年の日記』も面白そうだったのでさっそくランチタイムに図書館に行き、阿部のその本を借りた。

お昼にグループホームで昼寝をする。郵便が届き、小林信彦『夢の砦』を受け取る(古本で買っていたのだった)。スーザン・ソンタグの『隠喩としての病い』を読み始め、即座にこれは実に「使える」「すごい」本だと思い始めた。これは「病い」ではないにせよ、発達障害についてもソンタグのこのロジック、この卓見を応用できないか。というのはぼくは、この時代におけるもっとも影響力ある現象として発達障害を捉えているからだ。人は言う。発達障害者はギフテッドな人たちだ(天才、とすら言う)。でも、容易にわかるようにこれはロマンティックすぎるイデオロギー/理想だ。「病い」や障害を事実として実際に認めなくてはいけない。ソンタグの本は冷静さが大事だと教える。その言葉はあたたかい。

歯医者に行くべきだったのだけれど、鬱だったので(だから本の蔵で何も喋れなかったのかもしれなかった)キャンセルしてしまった。Discordであるサーバで予約していたアドベントカレンダーの企画の文をしたためる。書きながら、2022年にどれだけ本を読んだか振り返り198冊であると知る。ああ、2日に1冊だ。インナービースト(ぼくの中のケダモノ)について書く。魂を癒すためにそんなにもたくさんの本を必要とするケダモノ。

この多忙な時期にどんな本を読もうかと考える。いや、そんな多忙な時期に本なんか読まなくても、と言うかもしれない。でも、こんな苦痛な時期にこそ本を読んでしまうのである――それがぼくだ。