跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/11/07 BGM: Prince - Sexy M.F.

(ごめんなさい! きょうはグーグル翻訳の力を頼りました。日本語に訳し直す時間が取れなかったのです)

今日は志賀直哉の短編小説集を借りに行った。 志賀の繊細な目が、ぼくたちのさまざまな小さな感情の動きを捉えていたことに気づく。 たとえば、登場人物が良いことをしたにもかかわらず不快な気持ちになると彼は書いている。 なぜ彼がこのように書いたのかぼくにはわかる。。 志賀直哉は単純な性格が許せなかった。 つまり、このような逆説的で、入り乱れた、混乱した心の状態こそが、ぼくたちの本当の心の状態なのだと彼は感じたのかもしれない。 そうすれば(もしこれが正しいとすれば)、ぼくは志賀の小説に関して大きな間違いを犯していたかもしれない。 彼の小説は自閉症作家の到達点かも!?

ああ、なんてこった。 基本的には何も書くことなんてなかったから今日の日記を書くのはやめようと思っていた。 でも……借りた本のことを書き始めたら、実は指がいろいろなことを書き始めたのだった。 ぼくの頭は巨大なブラックボックスのようなもので、この日記にも書いてきたように、その中にはたくさんのガジェットが入っている。

今日は英会話の授業があった。 授業の宿題があったけど、何も書くことができなかった。 だけど、自分の声について書いた。 この大きくまっすぐな低い声…かつてはこの声が嫌いだった。 男らしすぎるし、うるさすぎるだろう。 しかし今、ぼくはこれを愛し始めている(または少なくとも受け入れている)。 この声はぼくにとって、自分のさまざまな意志や思いを他者に届けるための、ある種の良い「ツール」だ。

そして今日のクラスでは、文化をどのように祝うことができるかについて話し合った。 すでに日本には国民の祝日文化の日)がある。 しかし、ぼくたちは他のさまざまな文化的なものをもっと祝いたいか? ぼくたちは他の文化的なものをもっと大切に扱う必要があるか? 議論は日本の「オタク」文化から、紅葉(または秋の自然そのもの)を鑑賞するというさまざまな伝統的な事柄、そして食事の前の小さな祈りといった日本の小さな事柄にも及んだ。

その後、次の木曜日の会議に向けての草稿を作成した。 「自閉症のエリート」についてプレゼンテーションをしたいと思っている。 どうなるだろう?