跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/10/30

BGM: Phil Collins - Another Day In Paradise

今日は遅番だった。ぼくは毎朝この日記を書くのだけど、だんだんやりにくくなってきているのを感じる。というのは、書こうとしても文字通り自分の中が(メモパッドに書いたメモを見ながらであっても)空っぽのような気分になるからだ。何も書くことなんてない……だけど、もし指を動かして何かを書こうとすると、意識の表面にいろんなアイデアが浮かんでくるのを感じる。言い換えれば、ぼくは頭(脳)ではなく指を信頼しているということになる。この小さな脳よりも、指はいつも賢い。

今朝、ぼくはブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』をふたたび読み始めた。実に物議を醸す1冊で、大きな謎にぶち当たって驚いてしまった。主人公のパトリック・ベイトマンは日々の生活の中でいったい何を考えているのだろうか? いや、彼はたくさんのガラクタのような知識を持ち歩いている。賢い人だと思う。ブリリアントだと……トリビア、つまり雑多な知識を熱く語る。でも、どうしてそこまでして熱く語るのかぼくにはわからないのだ。ある意味では彼はとてもマニアックな人だ。

さまざまな小洒落たことがらについて語る。でも、そこからほんとうの彼自身が見えてくるとは思えない。ほんとうの彼とは実に謎めいている……たぶん、彼はそんな純粋な人間性を持っているわけではないのかもしれない。もし彼がそんな空っぽな人間なのだとしたら、彼はいろんなことを為して都会生活を生き延びようとするにもかかわらず、本質的には無力ということになるのかもしれない。ぼくは過去の自分の日々を思い出す。いろんな批評家が言ったことを暗記しようとしたりしたっけ。どれだけ自分がすごいか見せつけるために……その意味ではぼくも大差はなかったと言える。

そして、ぼくは娯楽としてこの本を扱えない。この本からは退屈を感じる。トリビアに満ちた情報がまあまりにも多く苦痛でもある。でも、ぼくはパトリック・ベイトマンの生活の中にぼくの生活を見出したくなってしまう。彼にシンパシーを抱く。殺人は許さない。それは言いたい。でも、この本には誠実に向き合いたい。