跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/23 BGM: 佐野元春 - VISITORS

今日は遅番だった。朝の読書タイムを楽しむべく、カレン・チャン『わたしの香港』の続きを読む。まだ途中までしか読めていないのでこれといったことは語れないけれど、香港という場所を語ることを通して彼女自身の複雑な人生そのものを語ることをも試みた、その意味で野心的な1冊なのではないかと唸る。そして、ぼくも彼女のように何か書けないかと思ってしまった(これは面白い本を読んでしまったらついつい考えてしまうことであり、つまりはぼくの「悪いクセ」なのだった)。彼女のように書く……つまりは、ぼく自身のメモワールを書くということだ。この宍粟市で生まれ育ったことを書き、90年代の日本のサブカルチャー渋谷系の音楽や『クイック・ジャパン』の創刊について)、オウム真理教事件やぼく自身が多感な青春(!)を過ごした早稲田大学のキャンパス・ライフについて、などなど。そう考えると思考はとりとめもなく膨らんで、ほとんどぼくの脳から溢れていく。ただ、もちろんそれを形にできるかどうかはまだまったくもってわからないのだった。

『わたしの香港』に倣って……ふと、その時聞いていたロイド・コールの音楽のことを考えた。この音楽にしたって小沢健二がファースト『犬は吠えるがキャラバンは進む』を出したばかりの頃にある音楽雑誌で「小沢はきっと、ロイド・コールのような渋いミュージシャンになる」といった批評文が書かれていて、そしてそれを読んで手にしたのだった。思えばぼくは一時期音楽を語るジャーナリスト/フリーライターになりたいとも思って『エレキング』や『ロッキング・オン』をせっせと買い求めて読んでいたりもした。そうしたサブカルチャーを語ることはこの国における、スティーブン・ミルハウザーの小説のタイトルを借りれば「ある夢想者の肖像」を語ることにつながらないだろうか。いや、もちろんこれはまだ形にもなっていないただのぼくの思いつきでしかない。書けない可能性も相当に高い。でも、「ぼちぼち」断続的に書いていくことはそれなりの価値があるかもしれない……やってみたいと思った。ぼくももう48歳になろうとしている。いつまでも若いわけではない。50代・60代はもう目の前だ。

思考はとりとめもなく広がる……ふと、その「ぼくのメモワール」を「きみ」という一人称を使って書けないかと考えてしまった。この書き方はぼくは確かジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』やポール・オースター『冬の日誌』で読んだことを思い出す。いや、ぜんぜん戦略的なものではなくただそれがしっくり来るからというだけの理由でしかないのだけれど、今日仕事が終わって一晩ゆっくり寝たら明日土曜日に試してみようかと考えた。思い出す……村上春樹との文学の出会いについても書きたいし、フリッパーズ・ギターコーネリアスを聞いて過ごした10代・20代についても書きたい。「きみは今、自分の人生の持ち時間について考えている。いつこの人生が終わるのかについて……そして、きみは自分がこれまでの人生でいったい何を成し遂げたのかについて考える。これからいったい何を成し遂げるのかについても。そう思うと、ペット・ショップ・ボーイズ『ウエスト・エンド・ガールズ』の歌詞よろしく『死にたくなる』こともある」……と書いてみることを考える。

仕事に入った。今日はジョブコーチとの面談がある日だったので、さっそくその方と2人で今のぼくの勤務内容について話し合う。思わず、ここまでの道のりを振り返ってしまいその方の前で泣いてしまいそうになった……前にも書いたけど、そのジョブコーチの方とのあの日の運命的な出会いがなければこんな風な楽しい日々・愉快な人生を生きることもなかったからだ。ほんとうに夢のような日々を生きていると思う……もちろん毎日毎日バラ色の人生というわけではない。今だってお金のことについて悩んでいるし、仕事場でだって「差別されてるな」「見下されてるな」と思うこともある。でも、それもこれも含めて「味わい深い人生」とも言える……今から10年前、こんなことが起きているとはぜんぜん想像できなかった。マンガみたいな展開というか何というか……その後仕事もこなせて、グループホームに戻りバタンキューで眠ってしまう。思っていたぼくのメモワールはまた時間が取れたらやってみようと思った。時間と労力の無駄かもしれないけれど、書けるだけ書いてみたいと思っている。