2022/11/11

いつの間にか、Twitterで愚痴をこぼすことを下らないと思うようになった。いや、人間生きていれば愚痴も言いたくなる。それはわかるのだけれど、少なくとも私は愚痴やボヤキの類をTwitterで書かなくなったと自覚している。私はそんなに強い人間ではない。むしろとことん弱っちい人間だ。昔、いつもTwitterで「どうして自分は発達障害者として生まれてきたのだろう」と書きこみ自分がいかに悲惨な人かをアピールしていたことを思い出す。あの頃から比べると、自分はそれなりにたくましくなったのかもしれないなと思う。

今日は遅番だった。朝、十河進『映画がなければ生きていけない 2010-2012』を読む。太宰治について触れられているところを読み、自分は太宰を読んできただろうかと考えた。『人間失格』『グッド・バイ』を読んだことを思い出す。優れた作品だし、太宰は紛れもなく天才だったのだろうと思う。だが、彼の作品に心打たれたことはない。私は自分が「人間失格」だと思ったことはあるけれど、それでも醜くてもふてぶてしく生きていくことを選び、そして生き延びてきた。その美学は古い作家だと漱石の生き方に通じるものがあるのかもしれない。

私は曲を作ろうとしても、結局ポール・マッカートニーやスティング、デーモン・アルバーンより優れた曲は書けない。小説を書こうとしても、古井由吉より優れたものは絶対に書けない。それはわかっているのだけれど、私は今日も日記を書く。そして、私は自分の書くものに満足しているのだった。なぜなのだろう。わからないけれど、今こうして「私は私で幸せ」と思えることはある種の成熟なのかもしれないと思う。私はベストセラー作家にはなれないけれど、それでも自分の内側から湧き出てくるものを愛することができて、満ち足りている。これが幸せなのかもしれない。

今日はジョブコーチとの面談があった。その方と話し込み、職場でどうすれば働きやすくなるか考える。ジョブコーチという制度を使えるようになったこと、引いてはその方と出会ったことは私の人生における幸運の徴だと思っている。この世の中にはロクでもないことはたくさんある。私も暗黒面に引きずられそうになる。もうダメだ、と……でも、こうして毎日日記を書く習慣を身につけたこと、仕事をなんとかこなせていること、英語でメモを書き続けていることなど自分の生活をここまで形作ることができたことを私は誇りに思っている。いや、私ひとりでそうした習慣を身につけられたわけではなく他の方との試行錯誤あってのことなのだけれど。その意味では改めて他の方に感謝したい。