跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/31 BGM: 平沢進 - サイレン

今日は休みだった。実はここ最近またclubhouseを使うようになった。主に英語で発信/アウトプットするのを目指してのことだ。そして今日はそのclubhouseを通じて知り合ったとある方が主宰するミーティングに参加させてもらった。約束時間にZOOMを立ち上げて参加する。今日は特にテーマを設けていない雑談が主ということで、初参加だった私の自己紹介から私の住む宍粟市のことについて話が及ぶ。私は発達障害者だからということもあってこうした雑談は決して得意ではないのだが、ホストや他の参加者の方が気を配って下さったおかげで楽しい時間を過ごせた。そのホストの方がふと「何か(他の方に)質問はありませんか?」と私に訊いて来られたので、頭の中が真っ白になってしまったのだけれど辛うじて「皆さんはなぜ英語を学ぶのですか?」といったことを質問できた。そこから話が盛り上がった(ように映った)ので自分の「雑談力」も増したのかなあ、と思う。仮に増したのだとしたらそれは日頃参加させてもらっているコミュニティを通じた数々のミーティングで「場数を踏む」ことができたからだと思った。

そのミーティングが終わり、昼に図書館に行きそこでエドワード・サイードの本を何冊か借りる。その後イオンに行く。今日は食欲不振気味だったこともあって軽くざるそばを食べることにした。ざるそばを食べ終えた後、さていったいどうしようかと考えるも何も思い浮かばない。いや、やるべきことは多々ある。暇なら本を読めばいい。あるいはそれこそまたclubhouseに入り英語を学べばいい。今日は約束していたジョブコーチに関連したメールを書くべき日でもあるので書けばいい。などなど……だが、肝心の「やる気」がこれっぽっちも出てこない。こんな時、私はその「やる気」が起こるのを待つのをいつの間にか止めてしまった。そうではなく、こんな時は「やる気」がなくてもとにかくやってみることにしている。やってみると、身体がノリを掴む。そうすると気持ちも身体に引きずられてきて高揚する。そこから「やる気」が出てくる。これは仕事を通して学んだことなのかもしれない。仕事に行く気がしなくても靴下を履くところから始める、というようにして私は気持ちに引きずられない「マイウェイ」「マイルール」を学んだと思う。

借りた何冊かのサイードの本から、今日は『サイード自身が語るサイード』を読んだ。サイードの『オリエンタリズム』を若い頃に(字面だけしか追えてなかったにせよ)読んだことを思い出す。そして、この本の中で語られるサイードは実に「二面性」を備えた驚異的な知識人だと唸らされた。彼は剛直/ストレートな「戦う知識人」だったが、彼が生み出した理論は「西洋批判」「イスラム擁護」と単純に整理できない繊細さを孕んでいると思った。ゆえに私なら私は再び『オリエンタリズム』を注意深く読まなければならないとも思う。そして同時に、私自身の考え方にもサイードばりの繊細さや柔軟さを取り入れないといけないとも思ったのだった。サイードを単純かつ粗暴に「ポリコレ」に基づいて発言した批評家・知識人と受け取ってはならない、と。これ以上のことはもちろん、実際に読んでみてから語らねばなるまい。『オリエンタリズム』『イスラム報道』といった本からいったい自分は何を学べるだろうか。

夜、断酒会に行く。その後グループホームに戻り、またclubhouseでいろいろ話す。ただ今日はじっくり腰を据えて1つのルームでおしゃべりということもできず、いろいろなルームを渡り歩いて教育問題や発達障害についてなどについて話す。結局最後の方になって入ったルームで、日本語学習者の方といろいろベーシックな日本語についてワイワイおしゃべりを楽しんだ。世間はかつてのclubhouseに関するブームもすっかり忘れ去ってしまったようだけれど(私自身、そんな風にclubhouseがブームだった頃はぜんぜんフォローできていなかった)、こんなふうにさまざまな話題について楽しめる面白いアプリであると改めて思った。そして、いつも書いていることだけれどこんなふうに人としゃべること、自分から自分の話を発信して自己主張していくことが英語上達の早道となりえるのかなと、今朝のZOOMでのミーティングのことも思い出して改めて思ったのだった。マンガ『PEANUTS』で学んだ「きしむ車輪は油を差される」ということわざ、つまり不平不満や自己主張を外に出すと見返りがもたらされる、という成句を思い出しつつ。