跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/01 BGM: Ben Folds - In Between Days

6月に入った。梅雨入りかと思えばいきなり台風が来たとのニュース。憂鬱な気持ちになるも、ともかくもこの鬱陶しい時期を抜ければ夏が来るのだと自分に言い聞かせる。来週の月曜日からリアルの英会話教室も始まることだし……夏が来たらどうしようかと考える。いつも盆が来ようが正月が来ようがいつもと同じように仕事をして、その合間に断酒会に行ったり本を読んだりして過ごしてしまっていた。連休を取りにくい仕事をしているというのもあるし、発達障害から来る悲しき性で日々のパターンを崩すのに抵抗感を抱いてしまうのだった。だが今年は、せめて姫路に行ってみるのはどうだろうかとも考える。いや、そんなだいそれたことではなく実際にはたかだか「隣町に行く」だけなのだけれど、姫路をぼんやり歩いてお城を見たりあるいは書店を冷やかしたり、そんな都会の雰囲気に触れるのもいいかなとも思ったのだった。冷静に考えればコロナ禍が始まってから姫路とはご無沙汰だったことを思い出した。なので計画してみることにした。

社交的・外向的とは何だろうと思う。ここ最近、英会話教室や英語関係のサロンに行ったりあるいはclubhouseで英語関係のルームに入ったりするようになってアクティビティが充実してきたのだけど、自分はそんな風に「外交的」な人間になったのだろうかと思ってしまったのだった。信じてもらえないかもしれないけれど、少なくともかつての私はそんなに外に活発に自分を開いていく人間ではまったくもってありえなかった。斎藤環が「自分探し型」と「引きこもり型」の対比で人間を分けていたと記憶している。「自分探し型」の人は旅に出たりして外へ外へと出ていき「自分探し」を続ける。そして「引きこもり型」の人は部屋の中で確固とした自分の世界を守る……というのが骨子だったと思う(20年以上前に読んだので間違いがあるかもしれない)。なら、私は後者の「引きこもり型」であると自認する。実際に私はザ・スミス「Ask」の歌詞よろしく、夏が来ても外に出たりせずベッドルームでひたすら本を読んだりパソコンにかじりついたりして過ごしてきたのだった。

言い方を変えれば、私の場合は「自分探し」なんて考えたこともない。「探す」までもなく、「自分」はいつだってここにいるではないかと思って生きてきた。いや、旅に出るのがくだらないとかそんな話ではないので誤解しないでほしい。この話題に関しては私は「私の真実」しか語りようがないのだけれど、私は常に発達障害から来る「(ヘンテコリンな)自分」と常に向き合わなければならなかった。やることなすこと人と違ってしまう自分。人を忠実にトレースしようとしてもはみ出してしまう自分……だが、その自分をある頃から「まあ、それが『自分』ならもうしょうがないな」と諦めたとも言えるのだった。どうあがいても私は「モテる」人間にはなれない。「花形」「スター」にはなれない。なら、それもまた人生かなと思い自分の道を生きることにしたのだった……話が脱線してしまったが、そんな「引きこもり型」の自分がこんな風に「引きこもり」続けて、挙句の果てにそんな感じで英語関係のサロンやミーティングに「社交的に」出られるようになってきたというのも実に皮肉なことだ。

夜、ZOOMでミーティングに参加する。今日のミーティングは雑談ということでワイワイいろんなことを話す。大阪城や姫路城の話からお城が持つ伝統的な美について話が弾み、英語で通訳・ガイドをやっておられるという方の体験談を聞かせてもらう。その方が語る創意工夫の念入りさに触れ、私も「これはぜひ自分の仕事に応用しないと」と唸ってしまった。体力づくりを日々欠かさないこと、自分からあれこれ自己主張するのではなく相手のニーズを引き出すことに務めること、幅広いジャンル/フィールドの勉強を好奇心を以て行うこと。いずれも大事なことだ。そして、このミーティングはこうした「達人」「エキスパート」の意見に触れられる大事な機会だなとも改めて思った。ひるがえって私はそんなふうに道を極めていると言えるのかなと思う。謙遜ではなく、単純な事実として今みたいに英語の勉強を始めるようになったのはつい数年前からのことなのだ。だから「半端者」ということになってくる。でも、酒に溺れていたころはほんとうに何もしていなかったのだから、改めて「よくぞここまで生き延びたなあ」と感慨に耽ってしまった。