跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/17 BGM: Aphex Twin - Xtal

今日は休みだった。絶好の山日和。朝、山に行く。そこでエイフェックス・ツイン『Selected Ambient Works 85-92』を聴きながらぼんやり過ごす。思えば山に来たからといってなんら大層なことがあるわけでもない。ただ自然と向き合うだけ。そしてその自然にしたって、毎週毎週通っていればそんなに代わり映えしないものであることがわかってくる。しかし、私自身が多分に発達障害者ゆえの「凝り性」の性格だからなのかもしれないけれど、そうして通い続けていれば自然の中にも確たる変化があることがわかってくる。それは私たちの人生も同じだ。この日記を書いていてまざまざとわかってきたことだけれど、日々同じことの反復のように見えるかもしれないその日々は決して「単なる反復」ではない。まして「それゆえに退屈」というわけでもない。いつだってその日その日がかけがえのない1日であり、ゆえに生きられるに値する大事な1日である。そんなことを、私は断酒して発達障害や英語について学ぶことで体得してきたと思う。世間では「無限ループ」のフィクションが流行っているが、そうした「無限ループ」とも思われる日々の中にすら相違は潜んでいるとも言える。

初めてエイフェックス・ツインを聴いたのはいつ頃だろう? エイフェックス・ツインを聴いていると落ち着く……私のような発達障害者は決まりきったことをこなすことに落ち着きを感じるという。私の中でも彼の曲はそうしたルーティンをこなし心の平和を保つための良質の音楽として落ち着いているようだ。でも、おかしなものでそうして平穏さを好む発達障害者(なにせ、同じことが同じように行われていないとパニックになるのだ)こそが、結果として世界を混乱させ刷新させたブレイクスルーとなる出来事を成し遂げたとも言われていることは興味深い。当の発達障害者のパイオニア/イノベーターからすれば「私は自分が信じたことをやっただけだ」ということになるのだろうが、そうした発明が可能となった状況がもたらされた偶然/謎について思いを馳せてしまう。いや、定型発達者のパイオニア/イノベーターだって山ほどいることはもちろん踏まえておくべきだが、そうであっても発達障害者の中からそうしたジレンマを破って「生きたいように生きた」偉人が現れたということは面白い。

昼、ルー・リードを聴きながら村上龍『ユーチューバー』を読む。思えば村上春樹のライバルとして名指されることも多々あったこの村上龍の作品を、私も熱心に読み耽ったものだ。『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』『69』……今回の作品では彼は実に「トレンディ」「キャッチー」な事象である「ユーチューバー」を取り上げているが、描かんとしているのは古典的ですらある「われわれの有限の生の本質」ではないかと思った。無理がある設定にしまりのない独白が続く話ではあるのだけれど、私たちの悲しき宿命について記した作品であることもまた確かでそれゆえにその真摯さを「くだらない」と切り捨てられない。その「悲しき宿命」とはつまり、私たちが死すべき定めにある存在であるということでありどうしたって現実/世界から打ちのめされ負ける運命にもあるということだ。それを難しい言葉では「諸行無常」と言うのだろう。そして、その定めを是認するのではなくそこから抗い生命力を発露させ続けることにこそ人が生きる意味や美しさがある……そういうメッセージを含んでいると受け取った。

夕方、グループホームでかつてお世話になった方と再会する。彼女から「WhatsAppって使ったことありますか」と相談されたのがきっかけだった。彼女の身内が海外に住んでおり、LINEではなくそのWhatsAppを使って話をしたいと言われたというのだ。私自身、IT音痴(?)なのでWhatsAppの使い方を体得しているとは言えずあれこれ悪戦苦闘して、30分くらいかかってやっと彼女がその身内の方とコミュニケーションできる(かもしれない)ところまで持っていった。彼女から「ありがとうございます! どこのショップに持っていっても、インストールまではしてもらえたんだけどそこから先がぜんぜんわからなかったんです」と感謝されてしまった。だが、これは致し方ないところもある。WhatsAppは日本人には馴染みの浅いアプリだからだ。海外の方からすれば、日本人が熱心に使い込んでいる「国民的」なLINEこそ「それってどうやって使うの?」だろう。時代はすっかりグローバル化し世界はフラットになったかのように見えるが、時にはこういうことだって起こるから面白いのだった。